第1回「こころよ、いっておいで」
季節の移り変わりの中での坐禅には、さまざまな気づきがある
私が好きな、冬から春へとバトンタッチする弥生3月
春うららかな陽差しと、心地よい風を肌に感じながら静かに坐る
それだけで心は柔軟さをとりもどして
空を行く自由な雲のように、滔滔と流れる川の流れのように
どこにもとどまらない、しあわせがそこにある
昨今のコロナ禍に、人の心は知らず知らずのうちにも凝り固まってしまった。新型コロナウイルス感染症が、社会に与えた影響は多大で、私たちの生活も一変させた。あたりまえのことがあたりまえではなくなってしまった。しかしこれも「世の常」。いつの時代も不遇なことが容赦なく訪れる。
詩人の八木重吉が詠う。
こころよ では いっておいで
しかしまた もどっておいでね
やっぱり ここがいいのだ
こころよ では いっておいで
「もどる」ところがあることに気づける。「もどる」ところがあるから、安心して悩むことができるし、迷うこともできるのだ。
天秤ばかりは支点を中心に、右に左にと傾きながら左右釣り合うバランスを求めて、平衡を取り戻す。
「悩み」を抱いたとき、心の天秤ばかりは悩み側に傾いて、悩みが晴れたら、再び平衡を取り戻す。
「迷い」を抱いたとき、心の天秤ばかりは迷い側に傾いて、迷いが晴れたら、再び平衡を取り戻す。
だからといって、心の天秤ばかりを傾ける悩みや迷いをなくしてしまうことは叶わない。
心の天秤ばかりの平衡は、その支点を移動させることで可能になる。それは悩みや迷いに視点を向けることだ。自分の弱みに素直に真摯に視点を向ける、その謙虚さに仏法の幸せがあろう。
不遇なことが容赦なく訪れる人生に息詰まったら、ゆったり坐ろう。心はバランスをとりもどし「やっぱりここがよかったんだ」と安堵できる。