令和8年4月1日~令和9年3月31日
正当法要 令和9年3月27日 宿忌 令和9年3月28日 献粥 半斎
遠諱大法会とは
「遠諱」とは寂後、五十年に一度、祖師方や故人の遺徳を偲ぶ節目を言います。ご功績を顕彰し御恩に感謝して大法会(法要)を執り行います。
今回厳修いたしますご遠諱は、妙心寺第二世の興祖微妙大師がご遷化されてから六百五十年目の法要になります。
遠諱テーマについて
微妙大師の遺品は数少ないのですが、その一つにこの「少水魚有楽」の一幅があります。「少水の魚に楽しみ有り」と読み下します。
魚にとって水が大切なのは言うまでもありません。その水がだんだんと少なくなっていくのです。“魚”とは“私たち自身”であり、“水”は“寿命”と解釈できましょう。人生は実に無常です。寿命は刻一刻と尽きようとしています。
『法句経』には「少水の魚の如し、斯に何の楽しみか有らん」とありますので、無常の人生に楽しみはない、というのが仏教の一般的な解釈です。ところが微妙大師は“楽しみ”があると教えているのです。
寿命ほど思い通りにならないことはありません。考えてみれば寿命に限らず、人生は思い通りにならないことであふれています。微妙大師の人生もそうでした。
微妙大師の前半生は後醍醐天皇の忠臣として活躍した万里小路藤房卿でした。建武の新政を始めた後醍醐天皇は、大内裏造営に力を入れる一方で論功行賞を疎かにしました。藤房は再三諫めましたが、人生は思い通りにならないもので、後醍醐天皇は耳を貸しませんでした。そこで藤房は意を決して出家を志したとされます。「思い通りにならない人生にあってなすべきことは何か」という人生の根本問題を熟慮したうえでの決断だったことでしょう。
出家した微妙大師は、無相大師の下で「本有円成仏」の公案に参じ、修行研鑽を積みます。では、その結果、この根本問題に対してどのような答えを手に入れたのでしょうか。
本遠諱のテーマは「いま、ここを生きるしあわせ」です。思い通りにならない人生だとしても、“いま”“ここ”を精いっぱい生きることで、誰の人生にも“真実の楽しみ”が立ち現れてくる。微妙大師の「少水の魚に楽しみ有り」という言葉には、そんな教えが示されているのではないでしょうか。