興祖微妙大師六百五十年遠諱大法会

微妙大師について

 授翁宗弼禅師(じゅおうそうひつぜんじ、微妙大師、1296~1380)は妙心寺開山・関山慧玄禅師(かんざんえげんぜんじ、無相大師、1277~1360)の法を嗣いだ唯一の弟子であり、妙心寺二世として関山慧玄禅師の法灯を堅持しました。

 万治2年(1659)、後西天皇より「神光寂照禅師(じんこうじゃくしょうぜんじ)」と諡(おくりな)され、明治12年(1879)には明治天皇より「円鑑国師(えんかんこくし)」の国師号が下賜されました。さらに昭和2年(1927)、昭和天皇より「微妙大師(みみょうだいし)」の大師号が贈られています。そして今日においては、師が妙心寺開創期の同寺の造営と興隆に尽力した功績から「興祖(こうそ)」と称えられています。

 授翁宗弼禅師の生涯については、師の前半生が後醍醐天皇の側近であり南朝の忠臣として名高い万里小路藤房(までのこうじふじふさ)と伝える史料に視点が当てられ、はやくから研究が進められてきました。しかし、師の生涯はいまだ多くの謎に包まれています。

微妙大師略年譜

時代

和暦

(  )内は
南朝の元号

西暦 年齢 事項
鎌倉

永仁4年

1296

1 万里小路(藤原)藤房、宣房の長子として生まれる。
南北朝 建武元年
(正慶3年)
1334 39

万里小路藤房、遁世する。

授翁宗弼、岩倉(京都市)の不二房(大雲寺)にて出家する(一説に建武4年/1337年)。

  建武4年
(延元2年)
1337 42

妙心寺開創される。
この頃、授翁宗弼、関山慧玄に見えるか。
12月23日、宗峰妙超、示寂する。
延元年間(1336~40)、妙感寺(滋賀県湖南市)開創されるか。

  貞和3年
(正平2年)
1347 52 7月22日、花園法皇、関山慧玄に一流再興・妙心寺造営の宸翰《重要文化財 花園天皇宸翰置文(往年の宸翰)》を下賜する。
  観応2年
(正平6年)
1351 56 8月23日、光厳上皇、関山慧玄に妙心寺再住の院宣《光厳上皇院宣》を下賜する。
授翁宗弼、関山慧玄の再住とともに、妙心寺に程近い「杉庵」より参禅する。
  延文元年
(正平11年)
1356 61 2月、関山慧玄、授翁宗弼に印可状《重要文化財 関山慧玄墨蹟 印可状》を授ける。
  延文5年
(正平15年)
1360 65 授翁宗弼、関山慧玄から遺誡(無相大師遺誡)を聴く。
12月12日、関山慧玄、示寂する。
授翁宗弼、妙心寺二世となる。
  応安4年
(建徳2年)
1371 76 1月、授翁宗弼、無因宗因に印可状《授翁宗弼墨蹟 印可状》を授ける。
  永和元年
(天授元年)
1375 80 11月18日、授翁宗弼、両親の菩提寺として丹波国七美庄(現=兵庫県美方郡香美町)に建立した報恩寺に関する置文《授翁宗弼置文》をしたためる。
  康暦2年
(天授6年)
1380 85 3月28日、授翁宗弼、示寂する。
授翁宗弼の塔所として妙心寺に天授院が開創される。

 

これまでの微妙大師遠諱の歩み(近世以降)
江戸 寛永6年 1629   授翁宗弼250年遠諱を厳修する(導師は愚堂東寔)。
  寛永7年 1630   雲居希膺、授翁宗弼の由緒寺院である温泉寺(静岡県熱海市)・興禅寺(同)を中興する。
  万治2年 1659   7月12日、後西院天皇、授翁宗弼へ禅師号「神光寂照禅師」を下賜する。
  寛文元年 1661   愚堂東寔、授翁宗弼の塔所である妙感寺(滋賀県湖南市)を中興する。※妙感寺の開創は延元年間(1336~40)頃か。
  延宝7年 1679   妙感寺にて授翁宗弼300年遠諱を厳修する。
  享保14年 1729   授翁宗弼350年遠諱を厳修する。
  安永8年 1779   授翁宗弼400年遠諱を厳修する。
  文政12年 1829   授翁宗弼450年遠諱を厳修する。
明治 明治11年 1878   天授院に妙心寺専門道場を開単する。
  明治12年 1879   11月7日、明治天皇、授翁宗弼へ国師号「円鑑国師」を下賜する。
授翁宗弼500年遠諱を厳修する。
昭和 昭和2年 1927   3月22日、昭和天皇、授翁宗弼へ大師号「微妙大師」を下賜する。
3月23日、授翁宗弼へ「興祖」の尊称が与えられる。
3月23日~31日、興祖微妙大師550年遠諱大法会を厳修する。
  昭和51年 1976   妙感寺にて興祖微妙大師600年遠諱大法会を厳修する。
  昭和52年 1977   3月22日~31日、興祖微妙大師600年遠諱大法会を厳修する。
  昭和56年 1981   妙心寺微妙殿、落慶する。
令和 令和8年 2026   4月1日~令和9年(2027)3月31日、興祖微妙大師650年遠諱大法会。

 

 

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