法話の窓

三五二万人と六七〇億円 ー布施の行ー(2012/04)

 標題二つの数字は、なにを意味しているか。
 横浜市の人口は今、三四七万人といいます。私の街は、三六万人。それらを上回る三五二万人とは、わが国の失業率5.5%の実数。そして、六七〇億円(五億ドル:2002年当時の為替レート)は、アフガニスタン支援日本負担額です。
 失業率5.5%といわれても比率感覚に弱いものにはなかなかピンときませんが、実際の人口数で示されると、おどろきます。横浜市の赤ちゃんから高齢者にいたるまですべての人々が、また、私の街でいうなら全市民のみならずはるかにこえてその十倍もの人が職を失い、求めても得られない事態。両極に位置する世代は職についていないとしても、あまりの膨大な数に言葉を失います。
 このような社会の負的な背景は、何やかやの悩ましい事象をひきおこす引き金になり、混沌(こんとん)たる世情をかもしだしかねません。
 かくて、心中に蠢(うごめ)くものがある。
 「日本自身が失業で困っているのだから、六七〇億円を対策費としてそちらへまわせばいいではないか」
 うん、なるほど。それもひとつの手法だ......。とのうなずきが生じます。が、また別のところに、
 「われわれもしんどいが、わが国とくらべる以前の問題だ。『私の国は戦争と荒廃の他なにもない国』とカルザイ議長に慨嘆(がいたん)せしめ、さらなる混沌の渦中にある、アフガンの人々の力にならないわけにいかない」
 と、諭し示す動きがでてきます。
 「そうだ。日本人としてあの悲惨な状態におかれている人たちに手をさしのべずにはいられない。支えよう。
 しかし、その見返りとして私たちは、かの国の平和と安定の実現を期待するところ大なるものがあるだけに、思想信条、民族の対立を避け、国民のひとりひとりの生活の襞(ひだ)にしみいるようなお金の使い方をしてほしいと求めようではないか」
 内戦などで乱れに乱れ収拾がつかない状況では、援助の金品が権力者の手にわたり、もっとも必要とする民衆のもとにとどけられないといったニュースをよく耳にしますから、こうした条件をつけたくなるのも無理はありません。
 ここで再び別の声がある。
 「"日本人として"のところを"仏教徒として"とおきかえてみたら?」
 仏法では、菩薩行といい、日常の行為として「布施の行」を説きます。「利他行」といってもいい。私は相手のためになる、とうぜん、感謝していただけるような何ごとかをしてさしあげました。しかし、反応はまったくなかった。無視された私は、三毒にまみれて怒ります。
 しかし、布施の行は、自らの行為についてなんの衒(てら)いもなく、微塵の見返りも求めないもの。のみならず、行ったその行為自体、心中に保持しつづけることなく、ただちにさらりと忘れさるものだという。とらわれないものだという。すごい行ではありませんか。
 さすれば、アフガニスタンへの仏教徒の姿勢は定まってきます。支援条件を付すべきではない。いや、つけるつけないの吟味すらすでに布施行に悖(もと)りますから、ただただ、支えればよろしいのであります。そうした利他行の根には、相手への宗教性に根ざした深い信頼がおかれています。つまり、「仏性」をみています。
 再再度の声、
 「その見方は平和ボケの結果。国際関係は甘くない。ニューヨークでのテロ事件、北朝鮮の武装船事件を見よ」
 これを聞き、あれを耳にし、戸惑いながらも仏教徒は決意しなければならない。どうあろうとも布施のこころで支え、どうあろうとも怨みは怨みで返しはしまいと。
 まさに峻烈(しゅんれつ)な教えの実践ではあります。


注)このお話は、平成十四年に執筆されたものです。従って数字に多少の違いが生じていますが、主旨を妨げるものではないとの判断から当時のままで変更していません。
因みに平成二十四年現在の横浜市の人口は三六九万人、日本の失業率は4.5%で失業者数二九二万人となっています。但し、この数字には異論もあり、実際の失業率は5.5%とも8%とも言われているようです。

 

葛葉睦山

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