法話の窓

令和元年の初夏

  5月1日より元号は「令和」。特に私などは頭の切り替えが必要です。しかし季節には元号がありません。季節は頭で考えるものではなく感じることが大切だと思います。

  目には青葉 山ほととぎす 初鰹

山口素堂(1642~1716)の有名な句です。素堂は松尾芭蕉と同門で親交があり、蕉風の確立に影響を与えた俳人です。俳句には季語というものがありますが、この句には「青葉」「ほととぎす」「初鰹」と夏の季語が3つも使われています。しかしながら初夏を代表する風物をあえて調子よく、リズミカルに読み込むことによって多くの人に親しまれているようです。私はさらにこの句から心が生き生きと働いている様子をくみ取れるのではないかと考えます。
 『臨済録』に「道流、心法は形無くして、十方に通貫す。眼に在っては見と曰い、耳に在っては聞と曰い、鼻に在っては香を嗅ぎ、口に在っては論談し、手に在っては執捉(しっそく)し、足に在っては運奔(うんぽん)す。本と是れ一精明(せいめい)。分かれて六和合と為る」とあるからです。意訳してみます。「皆さん、心は形がないですが生き生きと働いています。見ること、聞くこと、匂うこと、しゃべること、手を動かすことがそれです。全部心の働きなんです」。
 眼で見ているから「目には青葉」、耳で聞いているから「山ほととぎす」なんです。「初鰹」はどうでしょうか。「初鰹」は食べ物です。お店で食べたのか自分で調理したのか分かりませんが、食べるまでには手足、つまり体を動かしているはずです。そして味わい、「美味しい」と発する。ですから「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」の句は、臨済禅師がいう、「心法は形無くして、十方に通貫す」る姿が読み込まれていると鑑賞できはしないでしょうか。
 令和元年の初夏。心を生き生きと働かせ過ごしたいものです。

 

和田 牧生

ページの先頭へ