こちらこそ、ありがとう
「子供ができたから親になれるんじゃないよ。これからしっかりしなさいよ」。
今から19年前、私と妻の間に初めての子どもが誕生しました。退院してしばらく経った頃、親子3人で普段お世話になっているお寺にご挨拶にまわりました。その際あるお寺の奥様が「おめでとう」の言葉の後に私に向かって言われたのがこの言葉でした。しかしながらこれを聞いた私は、「いやいや、子どもができたら親でしょ」と思っていました。この言葉の真意を理解することなく。
「親の心子知らず」という言葉があります。親が自分の子を思う深い愛情に気付かず、子はわがまま勝手な振る舞いをするという意味です。それなら子はいつ親の思いに気付けるのでしょう。気付かないまま親になってしまうとそんな思いを持てないと思うのですが。
「父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)」というお経は、子が親から受ける恩について説かれています。その中に「父に慈恩あり、母に悲恩あり」という一文があります。親は子の喜びを自分のこととして共に喜び、悲しみや苦しみを共に悲しみ苦しむ。そんな深い慈しみと思いやりの心で育てているということです。この「慈」と「悲」を合わせると「慈悲」となり、仏様の心となります。親の子を思う心は、自分のことのように他者に心を向ける仏様の心と同じ尊いものなのです。
それではいつそんな心が持てるのでしょうか。持てるという言い方は適当ではないかもしれません。というのも、私たちには生まれながらにして仏様の心が具わっているのですから。ただ「自分が、自分が」という我(が)の心に隠されているだけで……。親となるということは、その我の心を取り払う良いきっかけなのです。その心は、子と過ごす様々な経験を通じてだんだんと気付き、育まれていくのでしょう。子を授かって初めて親も生まれます。親も0歳。右も左も分からない真っ白な状態からのスタートです。そこから子と一緒に成長していく。「自分が、自分が」から「自分も、あなたも」と思えるようになっていく。そう考えると「子ができたから親になれるんじゃないよ」という言葉の意味が少し分かったような気がしました。
あれから19年。長男は大学に進学し将来を模索しながらも楽しくやっているようです(私には連絡はありませんが)。翌年に生まれた長女は兄に刺激されたのか進学を目指して頑張っているようです。二人とも随分と成長しました。おそらく私よりもずっと多くの経験を積んだ妻も心身共にたくましくなりました。私だけが…体力は衰え、生え際は後退し、存在感は薄れ、少しは成長できたのかどうか。来年は親としての成人式を迎えます。「しっかりしなさいよ」と激励(?)してくれた奥様に、成長したかどうか聞いてみようと思っています。多分「まだまだやね」と言われるのでしょうけれども。
今月の16日は父の日です。「お父さんありがとう」と言ってもらえたら私もこう答えようと思っています。「こちらこそ、ありがとう」と。
今野 慈耕