お盆の心
夏を代表する行事の一つにお盆があります。お盆は正式には『孟蘭盆』といい、逆さ吊りの苦しみという意味です。孟蘭盆のもとになるお話は、お釈迦様の十大弟子の一人で神通力第一といわれた目連尊者が餓鬼の世界に堕ちた母親を救う方法を説いた物語です。
目連尊者は亡き母親のようすを神通力を使って見渡すと、母親は餓鬼界で苦しんでいました。嘆き悲しんだ目連尊者はお釈迦様に相談します。お釈迦様は「あなたの母親の罪は深く、あなた一人の力で助けることはできない。多くの僧に供養するならば、その功徳によって母親は救われるだろう」とお示しになりました。そして目連尊者はその通りに実践し、母親を餓鬼界より救うことができたのです。
目連尊者ほどの聖人の母親でも我が子を優先して小さな罪業を積み重ねてしまうこともあります。言わば母親が本能的に自分の子どもの幸せを願う深い愛情ゆえの罪業です。しかし、この話は私たちが自分の都合を優先しすぎて大切なことを見失うと、母親の罪とは比較にならないほど多くの罪業を積み重ねていることへの警鐘ともとれるのです。
私は、以前に宿泊施設に勤務していたことがあります。夏休みに都会から自然体験学習と称して先生に引率された数名の高校生が連泊しました。ある日の夕方、生徒達がバケツ一杯に魚や磯の生物を捕まえて帰ってきました。尋ねると魚を解剖して生体を観察するとのこと。しかし、さほど時間も経たないうちに先生がバケツを持って部屋から出てきました。見ると数匹の魚が解剖されていたのですが、大半の生き物は手付かずのまま息絶えていました。先生は、私に「解剖しなかった魚も暑さで傷んで食べれそうにないので、すみませんが生ゴミで処分して下さい」と言いました。
お客様ゆえに言われるがまま受け取ったものの、これでよいのだろうかと考え込んでしまいました。すると宿泊していた別の家族の女の子が「お魚さん、可哀そう」とバケツを見て呟きました。その言葉に、ハッと気付かされた私は、先生に提案し、翌朝、土に埋めて生徒みんなで線香を立てて手を合わせました。数日経って、先生から手紙が届き、「命の大切さを理解していたつもりなのに、心の底から命に感謝して思いやることを忘れていたことに気付かされました」と書いてありました。
「爪の上端に置ける土」という教えがあります。大地の土をこの世の全ての命と例えるならば、その中から人として命を授かることは爪先に置いた土ほどしかないという意味で、この世に人として命を授かること、多くのつながりに支えられて今、ここに生かされていることの尊さが説かれているのです。そのことに気付かず感謝を忘れてしまうのであれば、物や情報が溢れる世の中で豊かさを享受したとしても、無限に貪り苦しむ餓鬼の心になってしまうのです。
お盆は父母やご先祖様の恩や徳を偲ぶだけでなく、私たちが日々の生活の中で積み重ねている罪業に気付いて反省し、命のつながりに感謝して思いやりの功徳を積むことを誓う行事でもあるのです。
森山隆司