惻隠の情 ~父を撃たなかったイギリス兵~
もう10年ほど前になりますが、今は亡き父である師匠の米寿のお祝いをしました。当日、家族が集ったところで何か話してくれと頼むと父は、「今日はありがとう」といって話をはじめました。それは戦争の話でした。
父は昭和15年3月、19才のとき、京都の妙心僧堂に入門しました。戦争も激しくなった昭和17年4月、僧堂に赤紙(召集令状)が届きました。戦争は人殺しをしないといけないので召集を拒否したかったのですが、行かねば僧堂に迷惑がかかります。
仕方なく父は道を求めるための墨染めの雲水法衣から、人殺しをするための軍服に着替え、激戦の地、ビルマ(今のミャンマー)へ出征しました。終戦間近になると戦況は悪化の一途をたどり、後方支援が完全に断たれ、武器や食料が底をつきました。
着替えもなくボロボロの軍服を身にまとい、マラリアと悪性下痢にかかって痩せこけた父は、弾が一発も込められていない銃剣を下げ、重い背嚢にフラフラしつつ逃げまわりながら、こんな無謀な戦争を誰が始めたのかと考えました。
食べ物に困った父は、何か食べられるものはないかとキョロキョロして歩いていたら、道ばたにマンゴーの木があり美味しそうな赤い実を付けていました。その実を取ろうとして木によじ登ったところ、人の気配に緊張しました。
木の下にいた背が高くがっちりした体格の三十年配のイギリス兵と目が合いました。その敵兵は銃口を父に向けています。丸腰の父は自分はここで死ぬのだと覚悟を決めたそうです。
その銃の引き金を引けば父を簡単に射落とせたであろうに、何を思ったのかその敵兵は銃を収めてその場を立ち去ってしまったのです。その敵兵がどういう人かは全く知りようもありませんでした。
あのとき、私が撃たれて死んでいたら、自分と私の子供3人、孫9人とひ孫7人。全員あわせると20人もの私と私の血筋を引いていたものが、今の状態では生まれていなかったわけだ。つまりあのイギリス軍の敵兵が、みすぼらしい私の姿を見て、こいつを撃つのは可哀相だから撃たないでおこうという惻隠の情を起こしてくれたために、私のいのちが救われたのだ。
そのおかげで今の私たち家族の人生がある。あの人がちょっと引き金に掛けておる指を動かすか動かさなかっただけで、私たちの運命が大きく変わってきていたかと思うと何か不思議な気持ちがする。本当ならここにはなかったはずの、かけがえのないいのちを私も、そしてお前たちも戴いているのだから、自分のいのちを大切にして、みんな仲良くしなさいよと話してくれました。
この父の話と同じように、私たちの有り様はちょっとした揺れによって大きく変わるものです。そういう中にあって私は今ここに確かに生かされている…。考えてみると、これは実に不思議なことです。
この事実に驚きの心を持ち、そこから感謝の心を深めることができれば、それは立派な悟りです。
五葉光鐵