法話の窓

是非におよばず

 二月十五日は涅槃会です。昔からお釈迦さまが亡くなられた命日と定めて法要を営みます。涅槃とは、迷いがなくなるという意味ですが、迷いなく死んでいくことは、なかなかできないことです。しかしできないと片づけては本当にできません。せめて二月十五日が来たら、そのことについて深く考えることが大切であると思います。
 私は山本夏彦翁の文章を敬愛し愛読しています。翁が亡くなって十七年が経ちましたが、数多くの著作がいまも書店に並んでいます。全てを読んだのかと聞かれればもちろん、それらの全てを私は持ってはいます。その著作の中に『死ぬの大好き』という一冊があります。その中に、

  インタビュアーが来た。聞けばナニ生涯現役みたいな欄だ。「死ぬの大好き」と私はまっさきに言った。
ー中略ー
これを言わずに死なれよかと思った人がみんな恨みをのんで死ぬのである。自分だけ恨みを晴らした上で死ぬなんてわがままである。だから「死ぬの大好き」、このごろプールに行って足腰をきたえているが、これも死ぬためだ。

という一文があります。
 最近、六十そこそこで亡くなられた方がいます。ガンでステージ4だったから、死期が近かったことは確かですが、前日まで父親と一緒に食事に出かけ明日の約束もして別れました。翌朝、父親が車で迎えに行ったら亡くなっていたということです。父親は息子さんが亡くなる前、
「あいつも末期のガンだから、できれば私が丈夫なうちに送ってやりたいけど、こればかりは自分が先になるか、息子が先になるか判らんからなあ。私が代わってやると言っても、それは絶対にできない事だし。まあ、天にお任せするよりしょうがない。なるようになるわい。」
と言っておられました。はたして息子さんが先に亡くなられてしまいました。父親は息子さんの葬儀の時にも達観しているというのか、生死を超えているというのか、取り乱すこともなく、
「よかった、よかった。これで私も安心して死ねるなあ。息子と良い時間を一緒に過ごせてよかったなあ。あれは孝行息子だったよ。」
と言っておられました。
 一ノ谷の戦いで熊谷直実は数え年十六歳の敦盛(あつもり)の首(こうべ)をためらいながらも討ち取った。後に直実は世をはかなみ出家しました。それを謡った、『幸若舞(こうわかまい)』の「敦盛」の一節に、

  一度生を享け 滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは
口惜しかりき次第ぞ

とあります。死というのは考えたくないというのが通常の考えです。しかし、この世に生まれてくる生きとし生けるものは百パーセント、滅していくのが真実の姿です。生まれた瞬間から死への旅が始まります。はずれのない「もれなく」です。この事をはっきりと理解して生きる事が大切です。ぬるま湯で屁をこいたような顔をして、どれだけ生きていても、口惜しかりき次第です。幸若舞が好きで、ことに「敦盛」を戦(いくさ)の前に舞ったといわれる織田信長も本能寺で死を覚悟すると、
「是非におよばず」
と、ためらう事なく死に臨みました。これは、
「死ぬの大好き」
に通ずるところがあります。件の父親も、わが息子の死に際し、
「是非におよばず」
という立派な態度でした。まさに生死は「是非におよばず」です。

江口潭渕

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