法話の窓

それでも生きていく

 箱根駅伝観戦が、私の年始の恒例行事。快調なペースで思い通りの走りをする選手がいる反面、予期せぬ天候の影響で、思い描いた走りができない選手もいます。それでも「少しでも前へ」と、もがき、フラフラになりながらも懸命に自分の区間を走り抜け、倒れ込むように中継点で襷を繋ぐ選手の姿から、毎年、大切なことを学ばせて頂いております。
 昔、趙州さんという名の高僧に、弟子が質問をしました。「道とはどういうものですか」と。趙州さんは、「道なら垣根の外(毎日歩いている道)にある」と答えます。弟子は「そんなことは聞いていません。私が歩むべき大道(仏の道)のことです」と言い返すと、趙州さんは「大道なら長安に通じている」と答えたとの逸話が伝わっています。 
 どんな道であろうと、すべての道が長安(私たちの目指すべきゴール)に繋がっている、今生きているこの現実以外に、私たちの歩むべき道(仏の道)はないという意味に理解しています。今、自分が置かれている現実と向き合い、脚、実地を踏む――地に足をつけて、真摯に生きていく姿勢こそが大切だと、私なりに、この逸話を味わってもいます。

 昨年11月、台風で甚大な浸水被害のあった被災地域でのボランティア活動に参加させて頂きました。活動で伺がった被災者宅は、自宅1階が壊滅状態。そして、敷地内には、粘土の如く硬く固まった土砂の山。硬くて重い土砂の塊を土嚢袋に詰めるボランティア作業は、想像以上に難儀なものでした。作業も1時間を過ぎる頃には、腰や肩に痛みが走り、昼食を迎えた頃の私は、早くもグロッキー状態。台風の日から1ヶ月もの間、こんな過酷な作業の毎日だったのかと思うと、被災者の方々の心労は、想像に難くありませんでした。
 休憩時間、ボランティア活動先のお宅のご主人が、敷地内の土砂の山を指差しながら「1ヶ月近く、こんな作業ばかりで、正直もうウンザリだよ。でも、今は、この作業をやり続けていくしかないんだよね。先は見えないけど、少しずつでも前に進んで、生きていくしかないよね」と話して下さいました。
 住み慣れた自宅が一瞬にして壊滅状態になった現実と向き合うこと、その現実を受け入れること、自分が同じ立場であったら、それすらできないかも知れないと思いました。そんな過酷な状況下でも、1歩でも半歩でも前に進もうとする、苦悩と共に、それでも生きていこうとされるご主人に、この先の人生を生きて行く上でのあるべき姿を、示して頂けたように思います。

 今年の箱根駅伝も、記録づくめの素晴らしい大会でしたが、思い通りの走りができない中でも、懸命に自分の区間を走り抜けた選手達にこそ、心からの拍手を送りたいと思います。そして、この先の自分の人生で、どんな状況に直面したとしても、現実と真摯に向き合い、地に足を付けて生きていけるように、日々精進したいと思います。最後まで、自分の区間を走り抜いた選手たちに負けないように。

 

小澤 泰崇

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