春彼岸
私が毎日読誦する経典の中に、『延命十句観音経』(『十句観音経(じっくかんのんぎょう)』)という、四十二文字、十句からなる短い経文がございます。私の寺では、昨年の一月二十五日に兄の五十回忌を迎えました。兄については、父母も祖父母も多くは語らなかったし、私自身も兄の名前を知っているだけで詳しいことは聞いていませんでした。私がそれを知ったのは、祖父の原稿からでした。
「おもちゃの箱のような棺桶に赤ん坊を入れまして、後でわかったことでありますが、若い夫婦が両親の写真と、私の寺の観音さまの御影を入れまして、手紙を書いて入れたのだそうです。『観音さま、お願いです。この子はとても小さな子です。もしも途中で道に迷っておりましたら、どうかこの子の手をつないでやってください。お父さんとお母さんの写真を入れてあげるから怖がらずに行くんだよ。お父さんとお母さんと観音さまが付いているから、ちっとも怖くないからね』と書き添えました」。
右も左も判らない、言葉も判らない幼い兄の旅立ちに、両親が観音さまに最後に託した言葉が、「念々従心起、念々不離心」(念ずれば念ずるほど、観音さまが心より起こり、念ずれば念ずるほど、観音さまが心を離れない)という『延命十句観音経』の最後の言葉でした。
東嶺圓慈禅師(1721~1792)は、「隠顕出没(おんけんしゅつもつ)大自在を得る」(『白隠和尚全集』巻八)とし、観音さまは、人々を救うために、見えたり隠れたり様々な姿で私たちの前に現われ大自在を得ると教示します。きっと、観音さまが両親の姿に変わって、「怖がらなくていいからね」と兄に安心を与えたことでしょう。私の家族もそれを信じて、観音さまに全てを託し、「念々従心起、念々不離心」と心から観音さまを念じたのです。
毎年の春彼岸会では、兄のために今でも母は、ちらし寿司を作りお供えを致します。追善供養とは、亡くなった人が生前に成し遂げることができなかったことを、遺された者がかわって善事をすることです。ですから、僧侶に読経を頼むとか彼岸会に参加する前に、私たち一人一人が、どんなに小さなことでもよいから善いことをすることが大切です。春彼岸をきっかけに、自分の生涯の全体を真剣に思い、真の自分を確立させていきたいものです。
松原信樹