法話の窓

修行って何だろう?

 先日、ある本を読んでいるとこんな一節に眼が止まりました。「その気になれば、修行は何処でもできる」と。「なるほどな」と思いつつ、ふと自分自身のことを考えました。私がいわゆる「修行」というものを終えて実家の寺に戻ってきたのが、今から二十年前。この間、自分は何をして来たのだろうと。修行を続けてきたのか、それともただサボり続けて日を送ってきただけだったのだろうかと。
 前半の五年間は、臨済宗妙心寺派の布教師として、京都の本山に来られる皆様の前で法話をさせていただいていました。そのための話を練る作業に追われる毎日。まあ、修行と言えば修行だったように思います。では、残りの十五年はどうか。私は会社員をしていました。サラリーマンに成り切るつもりで僧衣を捨てて、髪の毛も伸ばしたスーツ姿の毎日でした。仕事の内容は葬祭業、葬儀屋さんです。この時、経験した忘れられない出来事があります。

 私は、あるお宅の葬儀の担当者となりました。亡くなったのは五十代の男性で、四十代後半の奥様、二十代前半の息子さんの三人家族でした。喪主である奥様が私に言いました。「ウチはお金を掛けられないから、誰も呼ばずに家族葬でやります」と。祭壇も無くお坊さんも呼ばず、安置室でお預かりして、火葬予約の時間に出棺するだけのプランになりました。
 お葬式というより、遺体処理作業です。この時の私の心配は、こちらの請求金額が相手の予算内に納まるかどうかという事と、もう一つ、この息子さんにありました。初めからずっと、携帯ばかりいじっていて、亡くなった父親の顔を見ようともしない。母親が話し掛けても返事もしない。全身で「面白くない」という態度を出していたからです。

 いよいよ出棺時刻になった時です。奥様は誰も呼ばないと言っていたのですが、それでも親族が4、5人来られていました。その親族が奥様に詰め寄ったのです。「祭壇も飾らん、花も飾らん。その上お経も無しか!」と。奥様が慌てた表情で私の所へ来て言うのです。「今からお経、何とかなりますか?」 なるわけないんです。出棺直前ですから。5分位で来てくれて、なおかつお布施無しでやってくれるお坊さん。
 そんな人いるわけないじゃんと思った時、一人だけいることに気がつきました。そして奥様に、「あの、実は私は寺の息子で副住職なんですが、スーツのままでよかったら私がお経をお唱えしましょうか?」と尋ねたのです。奥様が「それってタダですか?」って言うので「もちろん業務の一環としてです」と答え、急遽焼香の準備をしてお経をあげさせていただきました。
 すると、不思議な事が起きました。今まで携帯ばかりいじって、まるで他人事のような態度でいた息子さんが、声を上げて泣き出したのです。どんな親子関係だったのか、他人には伺い知れません。でも、お経の声が響く中、きっと彼の秘めていた想いが溢れたのだと思います。
 禅に「即心即仏」という言葉があります。心が即ち仏だと。この時、自分の心が素直になっていった息子さんこそが仏であったと思うのです。またその姿が美しく思えた私も、自分の心が素直になっていった瞬間だったと思います。この経験は、実際に人が生きている「社会」の中だからこそ起きた事なのです。

 改めて修行って何だろうって考えるのですが、「心が素直になれる」経験の積み重ねじゃないだろうかと……。特別な場所で、特別な事をすることだけが修行ではないと思います。人間社会の中で生きて、そこで“心が素直になれる”私でいられる。そうすれば職場や家庭や学校が、そのまま修行の場になるのだろうと思うのです。
 この春、葬儀会社を辞めて三年が過ぎました。ちょっぴりスーツ姿の自分に未練を残しつつ、今、寺の草取りをしながらこんなことを思い出しています。
 

木村嘉文

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