法話の窓

つとめはげむ その中に

 暑さ寒さも彼岸まで、との言葉がありますが、昨今の地球温暖化の影響でしょうか、9月になっても非常に暑い日が続いており、昔のことを思えば実感がわきませんね。しかしながら、お彼岸を迎える意義には、変わりはありません。お彼岸には多くの人々がお墓参りをします。それは我が家のご先祖さま(=うちのホトケ)を供養するという考えに基づいており、それはホトケを大切に思い、敬う心の表われです。なぜご先祖さまをホトケと言うのでしょうか。それはご戒名を頂かれて仏弟子となり、こちらの世界ではできなかった仏道修行を、あちらの世界でしておられるのだ、と多くの人が受け止めていらっしゃるからなのでしょう。
 「彼岸」とは仏さまがいらっしゃるおさとりの世界であり、私たちが日々悩み苦しんでいる世界のことは「此岸(しがん)」と言います。大きな川があって、こちらの岸にいる私たちが、仏さまがいらっしゃるあちらの岸に何とかして渡っていきたいものだ、と思いこがれながら見ているというイメージですね。その向こう岸(=彼岸)に至る方法が六つあり、「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」の徳目を実践すればよい、と言われています。これらを実践する人は、仏の道にかなう人だ、と思います。本日は「精進(しょうじん)=つとめはげむこと」を例にあげます。

 寺の檀家さんに、リョウジさん(成人男性・仮名)がおられます。リョウジさんは生まれたとき低体重児であり、脳性まひという障がいを持っておられます。産科のお医者さまからは一生歩くことはできないでしょう、と言われたそうです。しかし幾度かの大手術に耐え、懸命にリハビリに取り組んで、一つひとつできることを増やしていき、とうとう歩くことができるようになりました。18歳の時のことです。リョウジさんが小学校高学年のころから高校を卒業するまで約7年間、教職経験のあった私は家庭教師として毎週1回勉強を見させて頂きましたが、その間、彼の頑張りをつぶさに拝見しました。また、ご両親やご兄弟、主治医や担当看護師・リハビリの先生、養護学校の先生方の献身的な支えもリョウジさんからよくお聞きしました。私には、観音さまが大勢の方々のお姿をお使いになってリョウジさんを支え、またリョウジさんご自身も観音さまとなって、雄々しく立ち上がられた、と見受けておりました。

 「観音経」というお経に、観音さまがさまざまにお姿を変えられて世の人々を救う、と説かれています。つとめはげむその人は、その時点で観音さまの手立ての中で生かされており、大きな事が成就するのだと思います。この意味で、つとめはげむその人は、既に彼岸に到っていると言えましょう。私たちもつとめはげめば、その時点で彼岸に到っているのです。

豊岳慈明

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