ふく風は、よし強くとも
いろいろな風評に吹かれたオリンピックも終わり、パラリンピックとともに漸くすず風が吹く季節となりました。今回ほどその開催等に人々の関心が集まった大会もないことでしょう。開催に反対する人、賛成する人、それぞれが自身の思いによってさまざまな意見を表明する姿は、民主主義の素晴らしいところであるといえます。ただ、一体感を持つことの困難になった現代に自己を確立することの困難な我々が、勝手気ままな風を吹かせているようでもある、といえばあまりに皮相的な嫌味に聞こえるでしょうか。
禅に「八風吹不動」(はっぷうふけどもどうぜず)という語があります。「八風」とは、正しい行ないの邪魔をする八つの風評のことをいいます、私たちの行ないは、他人からの評価を受けます。褒められることもあれば、けなされることもあります。そんな世間の評価である毀誉褒貶を「八風」といいます。そして「不動」とはそんな他からの評価に左右されない強い意志を持たねばならないことをいいます。
この「不動」なるものを『法句経』第81番では
ふく風は、よし強くとも、岩ほはついに動くことなし
誉(ほまれ)にあふも、毀(そしり)にあふも、
さかしき人は傾ぶかじ
(常盤大定 著 法句経 : 南北対照英・漢・和訳 博文館 明39.4)
とあり、大いなる巌の如く泰然自若とした態度こそが、他人からの風評に左右されない確立された自己のありようであると指し示しています。このことをわかりやすく教えてくれたのが、今回のオリ・パラだったのではないでしょうか。
ともすれば、自身の行為に対する、世間の評価が気になるものです。確かに世間の物差しと全く外れた行為は、評価どころか批判の対象となってしまいます。それに気づくことも大切なことでしょう。しかし、いま自分のすべきことは何かと真剣に考え、行動した結果には、世間の評価は無関係なのです。それをやり遂げたその人だけが、自身の行為に対して評価を下すことができるのです。この意味でも、大会運営関係者の方々には、部外者の目にはうつらない努力と裏方に徹したご苦労があったでしょう。世間の風評とは別次元のところで、予定された通りに競技を運営することに細心の注意を払い大会を進行させた固い決意には、その開催賛否の意図を別にして大きな拍手を贈りたいと思います。
ともあれ、無事に終わったオリ・パラの関係者の方々に、禅のもう一つの言葉を送りたいと思います。それは江戸時代の博多で活躍した仙厓和尚の画賛です。そこには風に吹かれて揺れ動く柳の枝が描かれ、「堪忍 気に入らぬ風も阿ろふに柳哉」と書かれています。巌のごとき不動心も大切ですが、こんな気ままな柳の風情も捨てられません。但しこの柳に「堪忍」と題されていることを忘れるわけにはいきません。柳の枝がゆらゆらとして、世間の声にかかずらわないでいられるのは、その元に幹と根がしっかりと支えている。それが堪忍であり、仙厓さんの不動心でしょう。
柳の枝にならって九月の晴天を吹き渡るすず風を味わう、そんなやわらかなこころを一緒に持ちたいものです。
久司宗浩