深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない
以前、岡山の瀬戸内海の小島、長島の愛生園に慰問に行っていました。愛生園とはハンセン病の患者さんを隔離していた園です。今では、隔離することなく完治する病いです。毎年、数名の僧侶でお伺いし、亡くなられた患者さんの納骨堂の万霊塔、禅宗のお堂の達摩堂でのご回向、病棟慰問、法話と一泊二日の行事でした。
ある年に、明石海人の短歌を知りました。明石海人は、静岡県沼津市に生まれ、教職に就き結婚もし長女も生まれ、人生これからというときにハンセン病を発病しました。いわれなき偏見や差別から家族を守るため、名も素性も隠し愛生園に入園しました。
病状悪化にもかかわらず、短歌を学び、34歳ごろから短歌を発表しその才能が開花しますが、歌集『白描』を世に出した昭和14年、37歳の短い生涯を閉じられました。『白描』は25万部のベストセラーになり、その序文の中につぎの短歌があります。
深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない
映画監督の大島渚さんが座右の銘として、建長寺にあるお墓にもこの短歌を刻んでいます。
「深海に生きる魚族、暗い海の底にユラユラと海草がゆれている。目が見えるのか見えないのか、何やら怪しい光を放つ魚がその中をいずこへとなく泳いでいる。光はどこから発しているのかわからないが、おそらく魚体のどこからか発しているのだ。そんな青とも緑ともつかぬ光だけが、その魚の命なのだ。その魚のように生きていこうと思ったとこから、私は死からのがれ、ともかく生きてある自分を肯定することができた」と大島監督は、このように評価しています。監督の青春時代は、死と向き合うほどの暗黒期だったようです。
今、コロナ禍で状況が一変しました。外出や人と会う事もままなりません。そんな時だからこそ、自らをしっかり見つめ、正しく生きなければなりません。コロナは誰でも感染しうる病気であることを十分理解し、偏見、差別いじめなど誹謗中傷は絶対に行なわないようにしなければなりません。
人生は平坦な道ばかりではなく、山あり谷あり、上り坂、下り坂、それこそ、まさかという坂もあります。そんな時どうしますか? 何を支えにされますか? 誰かに頼りますか? 救世主を求めますか? 自分のことは自分でしか救えないのです。自ら燃えなければ何処にも光がないのです。
小川太喜