法話の窓

人生という丘の上で

  春風や闘志いだきて丘に立つ
                高浜虚子

 

 この句の主人公は虚子自身でしょう。若き日の虚子は小説家でしたが、40歳頃に体調を崩したこともあり、俳句への転身を図ります。大正2年2月21日の句会で虚子はこの句を発表しました。胸中には俳句に立ち向かう闘志がふつふつと湧いていたに違いありません。
 私自身のことですが、学生時代は受験や就職というゴールに向かって邁進(まいしん)していました。会社員時代は「出世するんだ」という意欲を強く持っていました。修行時代はとにかく毎日必死でしたし、布教師に成りたての頃は向学心に燃えていました。あの頃の「志」はどこに行ってしまったのかと改めて考えさせられました。
 歌人・会津八一(あいづやいち)はかつて旧制早稲田中学で教鞭(きょうべん)をとっていました。郷里の新潟から上京し、八一の家に下宿して学ぶ学生のために書いたのが「秋艸(しゅうそう)堂学規」です。秋艸とは八一の雅号です。伸び行く学生たちの道標であり、また八一自身の「志」でもあったのだろうと思われます。

  「秋艸堂学規」
  一 ふかくこの生を愛すべし
  一 かへりみて己を知るべし
  一 学芸を以て性を養ふべし
  一 日々新面目あるべし

「ふかくこの生を愛すべし」
 まず第一に、この世に生を享(う)け、今こうして生きている自分を深く愛すべきだと教えています。自分を深く愛すことができれば、苦境に陥ることがあったとしても、尽きることのない闘志がみなぎってくるものだと考えます。

「かへりみて己を知るべし」
 禅は己を知ることを大事にします。自分のことを知っているようで実はわかっていないというのが私たちです。自分とは何者であるかを掘り下げるほどに、自分の浅はかさがわかります。と同時に底知れぬ深さも見えてこなければなりません。

「学芸を以て性を養うべし」
 学問をするのは、知識を身に付けるためだけではありません。性を養う――人間性を陶冶し、人格を錬磨していくことも大切です。それはビジネスでも家事でも同じでしょう。何事においても人間性を養うことを大いなる志にしたいものです。

「日々新面目あるべし」
 毎日毎日新しくなるということです。昨日より今日、今日より明日へと常にアップデートしていくのが新面目であり、また禅の真面目(しんめんもく)への道です。「自分はまだまだである、もっと新しく」と志を高く掲げたいものです。

 春風は新しい何かが始まることを予感させます。この春、人生という丘の上で大いなる志をいだき、今より素晴らしい自分に出会ってみたいと思いませんか。
 

服部雅昭

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