「今こそ気付け 奇跡の命」
「暑さ寒さも過ぎゆけば 影も光もなごむなり
つらき浮世も耐えゆかば よろこび生くる日は近し」
私ごとで大変恐縮ですが、臨済宗妙心寺派の僧侶5名で結成された音楽法話バンド「一期一會」のメンバーとして全国各地でコンサートを開催させて頂いております。
東日本大震災の数年後の秋、有り難きご縁を頂きまして陸前高田でのボランティアに参加をさせて頂きました。前日に一関駅前に集合してレンタカーでの移動でした。信じられない光景が目の前に広がった時、何も言葉が出てきませんでした。大震災から一年以上が経過しているにも関わらず、何一つ復興できていない真実に心が張り裂ける思いと怒りさえ覚えまました。
無言のまま車が高田松原辺りに差しかかったその瞬間、突然目の前に「奇跡の一本松」があらわれたのです。七万本以上あった松の木が、津波で全て流されてしまいました。そんな中、一本だけ生き残った松の木です。寂しそうなお姿。ポツンと、たった一人ぼっち。しかし、何かを私たちにそっと話かけているかの様でした。既に一本松は翠の葉を津波によって失い、枯れ果てています。しかし、不思議なことに私の目には、翠にキラキラと輝いているかのように映ったのです。「生き残ったのではない、生かされた」確かにそんなお姿でした。その時、ふと「松樹千年翠」という禅語が胸の奥から聴こえてきたのです。「松の葉は何年経とうと、翠色を絶やさない」私たちの心の深き場所には、どんな人も色あせることのない「仏心」があるのです」。
自分が今、生かされていることや、現在まで関わって下さった人々に感謝を捧げ、コンサートを開始する事ができました。日本の唱歌など花園流御詠歌や「涙そうそう」「翼をください」「千の風になって」「ふるさと」など、よくご存知の曲目と共に法話をまじえて約七十分のコンサート。「あっと」言う間に無事終了。
演奏後、一人の年老いた男性が私にそっとお話し下さいました。「私の二分後、船に乗り海に出て行った友は、未だに帰って来ませんよ。たった二分です。私は今、生かされている。本当に不思議です。自分を責めたこともあります。今は感謝しかない。生き残ったのではない、生かされているのだと気が付きました。」
この気付きこそが「彼の岸」であり「仏心」なのです。
「いざ行かん 行きて彼岸の花を見ん
生死の海は 波あらくとも」
私は被災していません。今、生かされている、これは奇跡です。私たち一人一人が、「奇跡の一本松」であることに気づかなければ、真の復興は不可能のままなのです。今、地球は悲鳴を上げ、全国各地で自然災害が勃発しています。被災された多くの方々に対して、ご冥福をお祈りします。今、生かされている奇跡の命に感謝を捧げ、苦しい時こそ「彼岸の花」を胸に咲かせていたい。
きっといつの日か、影も光もなごむ日が訪れるはずだから。