法話の窓

「食べてみないと分からない」

  人生は箱入りチョコレートみたいなものよ
  “食べてみないと中身はわからない”
  って、ママがよく言っていた

映画「フォレストガンプ/一期一會」より

 

「箱入りチョコレートの中身は、美味しいチョコレート!」と思いたいところですが、昔、チョコレートの箱を開封してみると、ドロドロに溶けていたことが……(保存方法のミスが原因で……)。「硬くて美味しいチョコレートの登場!」に胸を躍らせていた私にとって「そうならない現実もあるのだ」と、上記の言葉が、やけに身に沁みたことを思い出します。

以前、坐禅会参加者の女性が、小学生の息子さんとのエピソードを聞かせてくれたことがあります。息子さんは、文化祭で発表する劇の配役を決めるくじ引きで、舞台背景の「木」の役を引き当てたそうです。動きもセリフもない、立っているだけの「木」の役を引き当て、意気消沈しながら帰宅した息子さんに、女性は言葉をかけたそうです。

セリフがなくても、動きはなくても、目立たなくても、沢山の人が見ている中で、木として、じっと立っていることは、すごいことなんだよ。立派なことなんだよ。

母親の言葉に思うところがあったのか、当日は、一生懸命に木の役を演じきった息子さん。観劇していた女性には、木を演じる息子の姿が、誰よりも輝いて映ったそうです。終演後、女性が息子さんに感想を聞くと「うん、木の役も悪くない」と素っ気ない答え。「生意気ですよね!」と語る女性は、なんだかとても嬉しそうでした。

「人の、水を飲んで冷暖自知するがごとし」という仏教の教えがあります。例えば、氷の入った水を手渡され「この水は冷たいですよ」と他人から聞かされても、実際に、コップを手に取り水を飲み、冷たさを肌で感じない限り、本当の意味で水の冷たさを理解したことにはなりません。経験してみないと分からないことや、経験することで新たな気づきや発見が生まれることがあるという意味で、私は、この教えを味わっています。

  人生に無駄なことなんか、ひとつもない。生きるってことは、いろいろ経験すること。その時は、自分とはまったく関係のないようなことでも、その経験が大切に思える日がくる。

ピアニスト フジ子・ヘミング

 

年始の賀状には「夢と希望に満ちあふれた一年」「幸多き一年」といった文言が並びます。「良い一年になれば」と願いながらも、自分の思い通りには進まないのも人生。新しい年、どんな巡り合わせが訪れるのか、それこそ開封してみないと分かりませんが、人生に無駄な経験はないと信じ、ご縁を大切にして生きていきたいと思います。そして、今年一年を振り返った時、「良い一年だった」とは思えなくても、せめて「悪くない一年だった」と思える一年であって欲しいと、念じております。

ところで、不注意で溶かしてしまったチョコレート。冷蔵庫で固め直して食べてみると……味は、正真正銘、チョコレート。悪くない味でした。

 

小澤 泰崇

 

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