「とある昼下がりの午後に」
蒸し暑さにけだるさを感じつつ、良く育つ雑草と格闘する毎日。しばしの休息にと、シャーベットに舌鼓を打つ昼下がりの午後。BGM代わりのテレビをぼんやり眺めていると、NPO団体の特集が始まりました。
海外のNPO団体で、その活動は使われなくなった義足のリサイクルです。使い古されてその使命を全うした義足、体の成長と共に役目を果たせなくなった義足。そうして使われなくなった義足を回収し、新たな使命を与えるのが彼らの活動の一つです。義足はもちろんそのままでは使いものになりません。なぜなら一人一人に合わせて作られているからです。
では、どのようにリサイクルするのか? 発展途上国において義足を作ることは非常に困難を極めます。それは入手困難な部品があるからです。そうした部品の注文を受けて義足から取り出し、送り届ける。小さなネジ一本も無駄にせず、活かしきる。また、どのような思いでその部品を送ったかをメッセージカードに認(したた)めて添えることもあるそうです。テレビ画面には義足を履いて嬉しそうに走り回る少年や、感謝に涙する女性の姿が映し出されていました。
仏教は「心」を一番の問題として取り上げ、様々なアプローチからその本質を探究してきました。その中でも禅宗は、自分自身の心こそが仏であると宣言します。人は本来、仏の心をもっています。それは慈悲と勇気の心です。悲しみにくれる人がいれば寄り添い、共に悲しみ、時に慈しみを持って接する心。自身の理想に向かって進む中、どんな困難に直面しても決して諦めないひたむきな心。人である限り、みんなこの心を持っているのです。しかし心は目に見えないものです。ついつい私たちは見えないものは信じない傾向にあるようです。だからこそ禅宗は「働きが大事である」と念を押します。いくら高尚な理想を語っても、実際にそれに向けた行動を見せなければ人はついてきません。またいかに優し気な言葉を使っても、実際に困っている人に手を差し伸べなければ何の意味もありません。心というものは目に見えません。だからこそ生身の肉体をもって表現していかなければならないのです。
NPO団体の方々は当に「仏心」の表現者ではないかと思うのです。その活動は困っている人々を助け、無用の長物として捨てられるものを活かしている。時にはメッセージを添え相手の心に寄り添い、励まし元気を与えている。そんな彼らは皆一様に笑顔に溢れ、その表情からは自信が伝わってきました。きっと彼らはどんな困難も、慈悲と勇気で乗り越えていくことでしょう。
少し日が傾き、暑さが少し落ち着いた夕方。けだるさと一緒に溶けたシャーベットを飲み干して、まだまだ明るいお日様に感謝をし、時間を忘れ雑草と語らってみようと思います。