「今も生きる祖師方の志」
11月11日は花園法皇忌、1337年に創建された妙心寺の開基、花園法皇さまのご命日です。花園法皇さまは1297年にお生まれになり、第95代天皇として1308年から10年間在位され、1348年に崩御されました。時代的には鎌倉幕府が滅び、第96代後醍醐天皇が建武の新政を行い、その後室町時代へと大きく移り変わっていく、まさに激動の世の中でした。そうした世情にあって、花園法皇さまは「報恩謝徳の思い、興隆仏法の志」という誓願の言葉を御宸翰(ごしんかん=天皇の直筆の手紙)に記され、大燈国師の一流の禅を、更にこの世の中に盛んにしていくことを、妙心寺の開山である関山禅師さまに託されたのでした。なお、関山禅師さまは、明治天皇から諡(おくりな)され、「無相大師」ともお呼びしています。
私が住職を勤めます豊昌寺は、岡山県玉野市に平成18年(2006)に設立した、いわば生まれたての赤ん坊のような寺です。初代住職は私の師匠であり、同じ玉野市内にある久昌寺の第20代住職であった豊岳明秀和尚です。明秀和尚は久昌寺の第19代宗柏和尚の長男として生まれました。大学在学中に学徒出陣、帝国海軍の駆逐艦「橘」の座乗、昭和20年7月の函館湾での交戦により沈没、九死に一生を得ました。終戦後、南禅寺専門道場、妙心寺専門道場で修行し、その後自坊に帰りました。
当時、学校の先生が不足していたので、地元の高校の校長先生から声がかかり、明秀和尚は兼職して教壇にたち、25年間勤めました。そして学生たちと接する中で、自分が禅僧として培ってきたものが若い魂に影響力を持ちうることを実感し、禅の教えを広めるために新たに寺を造ることを発願しました。用地の購入、本堂の新築、寺院設立の手続きを経て、新寺建立に至りました。寺院設立は、地元岡山の寺院方のご指導と檀信徒の皆さまのご支援、久昌寺および親族や寺族の献身的な尽力があってこその大事業でした。また、寺院設立の手続きと並行して、坐禅会を開始、御詠歌の稽古も始めました。さらに明秀和尚は花園流御詠歌「薬師如来御和讃」「慶祝御和讃」を作詞し、平成21年に遷化しました。
新しい寺ができ、すぐに地元の方々に受け容れられたことも嬉しいことでした。最初に声をかけてくれたのは地元在住の俳句の先生と句会の皆さんでした。寺で初めてお釈迦さまのご降誕を祝う花まつりを開催したときには、誕生仏にひしゃくで甘茶をかけながら「気持ちよさそうじゃなぁ」と言って掌を合わせられたのが、つい昨日のことのように思い出されます。
大勢の皆さまに支えられながらの新寺建立と御詠歌作詞に尽力した明秀和尚の生涯は、花園法皇さまの「興隆仏法の志」に応える誓願に、満ち満ちていたように思います。