「裏も表も仏の姿」
朝晩の冷え込みがだんだんと厳しくなってまいりました。昼は気持ちいいほどの秋晴れでも、日が陰ると途端に冷え込んでまいります。季節の移り変わりに従って、私たちの周りのものは確実に姿を変えてまいります。
紅葉もその1つです。同じ木の、同じ葉が色を変えて散っていきます。良寛さんの辞世の句を思い出します。
うらをみせ おもてをみせて 散るもみじ
裏も表も同じ1枚の葉です。しかし同じ葉とは言え、そこにはその場その場に応じた姿が存在します。そこを良寛さんは表裏と表現されたのだと思います。私たち人間も同じです。
かつて私の近くに建設業を営むKさんという方がおられました。65歳の頃、まだまだ現役だったのですが、ご自身の会社の作業場で脚立から転落し、命は助かったものの頸椎を激しく損傷し、四肢麻痺になってしまわれました。一瞬でKさんの見る世界が変わってしまったのです。会社の景色を見、職人さんの姿を見、毎日のように取引業者さん達の声を聞いていたのが、その瞬間から天井を見ることしかできなくなりました。私が見舞った時も、お互いにただ泣くだけで、その気持ちを察することなど到底できませんでした。
「この苦しみを仏教で救ってくれないか」
Kさんは私に静かにおっしゃいました。私はその言葉を聞いて、これまでの不勉強を後悔しながら、片っ端から本を広げ、Kさんに生きる希望を持ってもらえる何かがないか、毎日夢中で探しました。半年ほど経ったある日のこと、たまたまお釈迦様の「自灯明」の教えに出会いました。これまで頭では理解していたつもりでしたが、改めて衝撃が走りました。
「自分自身を拠り所とせよ。決して他を拠り所とすることなかれ。」
つまり、KさんはKさん以外に救われる道は無い、ということです。私がどんなに仏の教えを伝えても、それは良くても所詮ヒントでしかなく、直接Kさんを救うものではない、ということです。
この衝撃的な事実をどのようにして泣いてるKさんに伝えようか……困った私が思案しているうちに、Kさんに笑顔が見られるようになりました。毎朝聞こえるお寺の鐘、その回数が日によって微妙に違うと。そしてその後、ベッドの横まで遊びにくる雀の姿。雀の声。Kさんにとって、これまで気にも留めなかった景色にKさん自身が気づき、それによって笑顔が戻ってきたのです。その笑顔は、仏様そのものでした。そして、毎日朝が来るのが楽しみだと、私に言ってくれました。
一瞬にして自分の姿も見る世界も変わってしまったKさんでしたが、最後まで笑顔を忘れることなくこの世を去っていかれました。裏を見せ、表を見せて散るモミジのように。
合掌