法話の窓

「看よ看よ臘月尽く(みよみよろうげつつく)『虚堂録』」

 臘月(ろうげつ)とは12月のこと。早いもので、気づくと今年もあとわずかです。この年の瀬がいつになく重苦しい空気に覆われていると感じるのは、世界各地から届く戦地での悲惨な映像に日々接しているせいでしょうか。まさに暗澹たる思いです。
 さてこの臘月の最終日、つまり大晦日(おおみそか)のことを別名で「おおつごもり」とも言います。これはつきこもり(月籠り)、つまり月の光が届かなくなる新月の頃をつごもりとよび、旧暦ではそれが月末にあたるため、その一年で最後のつごもりを大つごもりと呼ぶのだそうです。この光のない状態を仏教では無明(むみょう)と呼びます。煩悩などの迷いで周りが見えなくなり、闇に落ち込むのです。

 以前、沖縄で戦没者の遺骨収集を続けておられるガイドさんとともに、僧侶仲間と戦跡を巡ったことがあります。先の大戦に於いて唯一の地上戦が行われた沖縄ではガマと呼ばれる自然洞窟が各所で防空壕として利用されました。私たちは実際に使われたそのガマに足を踏み入れました。一列になって懐中電灯の明かりを頼りに、狭い洞窟を奥へ奥へと身をかがめながら進み、ようやく少し天井が高くなった空間に出ました。そこは次第に激しさを増す戦闘から避難した人々が身を寄せ合っていた場所。ガイドさんの合図で一斉に電灯を消します。途端に辺りは漆黒の世界。自分の手のひらさえ見えない真っ暗闇です。すると私は急に言いようのない不安感に襲われました。洞窟内の高い湿度や、岩肌から染み出す水滴に交じって、全身に幾筋も汗が流れ落ちます。シャツがじっとりと張り付き、まさにこの場で命を落とした人々の苦悩や慟哭が耳の奥に届くようです。当時ここで爆撃におびえ、敵兵に見つかることのないよう息をひそめていた人々の恐怖や苦しみはどれほどだったことでしょう。ガイドさんの説明は、当時のガマの中は怪我人や病人のうめき声に加え、酷い悪臭に満ちていたこと。そして戦況が悪化し、追い詰められていくガマの中で想像を絶する悲劇が起こったことへと続き、静かに、しかし強く、深く、私たちの心に響きました。
 「さて、ライトを点けましょう。」ガイドさんの合図とともに、再び光が周囲を照らします。小さな明かりをこれほどありがたく感じたのは生まれて初めてかも知れません。そして同時に私たちは平和の尊さと大切さを心の底から実感したのでした。

 さて、表題の語は私たちの人生のはかなさへの気づきを促す警句です。つまり『うかうかしていると今年ももう終わってしまうぞ!気をつけろ!!』と。しかし恥ずかしながら、そのはかないいのち、いただいたかけがえのないいのちを本当に生かしきって生きているのか?「看よ!看よ!」その鋭い問いが今年はやけに胸に迫るのです。
 すべての人が戦火におびえることなく生活できる、光に満ちた平和な世界が一日も早く訪れることを祈りつつ、どうぞ皆さまには穏やかで幸せな新年をお迎えください。

林 寛山

 

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