「昨年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの」
「新年おめでとうございます」
元旦は天地宇宙の万物が清新な気に満たされています。このことをじっくりとかみしめ、新年を迎えたいものです。昨年はいろいろとあったかもしれません。しかし、うまくいかなかったこと、いやなこと、都合の悪いことは前の年に置き去りにし、笑顔で新年のスタートを切りたいものです。「一年の計は元旦にあり」「一ヶ月の計は一日にあり」「一日の計は朝にあり」と言うではありませんか。
「今年はやるぞ!」
意を新たにして今年の第一歩をふみだしたいものです。そんなことを昨年も思いながら、お寺の掲示板の言葉を探していたところ、出会ったのが次の俳句です。
昨年今年貫く棒の如きもの
「年が変わったからといってリセットするな」
「うまくいかないからといって昨年のことをなかったものにするな」
という意味です。この俳句は、明治から昭和にかけて活躍したホトトギス派の高浜虚子(たかはまきょし)(1874〜1959)が昭和25年12月に新春ラジオ放送用に発表した句です。
しかも、虚子の住居があった鎌倉の駅でこの句が掛かっているのを発見した川端康成(かわばたやすなり)は「背骨を電流が流れたような衝撃を受けた」と激賞しています。
「過去、現在、未来と時は流れていくが、私には一本の棒のように貫くべき大切なものがある」
と高浜虚子は叫んでいます。ここは憶測ですが、当時、誹諧には大きな新しい波が押し寄せていました。ホトトギス派の俳諧は危機にあり、虚子には不安と苦悩が渦巻いていました。しかし、虚子は四季の変化による自然界や人間界のさまざまな姿を、ただ無心に、客観的にうたいあげる「花鳥諷詠(かちょうふうえい)」や「客観写生」の理念を捨てることはありませんでした。この独自の姿勢を崩さない決意と信念を「貫く棒」として表現したのでしょう。
さらに、川端康成は『竹の声桃の花』の「美の存在と発見」の中で「禅の一喝に遭ったようでした」とコメントしています。
「年があけたからといって、本来持っている大切なものを捨てるのか?」
「喝!」
ということですね。川端自身にも何か重なることがあったのかもしれません。
目標を立ててみましょう。必ずしも新しい必要はありません。過去のものであっても問題はありません。一昨年、昨年のものでもかまいません。毎年リセットするのではなく、昨年今年、そして来年をも貫く信念の棒です。見つけるとぶれない人生を歩むことができます。
静かに坐って考えてみましょう。
決めるだけでは効果は薄そうです。アメリカのスクラントン大学の研究によると、新年の目標を立てる人のうち、その目標を達成できる人はわずか8%というデータがあります。もちろん達成することだけがすべてではありませんが、せっかく目標を立てたからには、挫折せずに継続していきたいものです。
そうだ、目標と具体的方法を紙に書きましょう。書いて、どうしましょう。毎日見ることができるように冷蔵庫にペタッと貼っておきましょう。おせち料理を冷蔵庫から取り出したときにこんな声が聞こえるかもしれません。
「信念あけましておめでとうございます。」今年もよろしくお願いします。