「人生は自ら切り拓く」
『法句経』一八二に
ひとの生(しょう)を うくるはかたく やがて死すべきものの いま生命(いのち)あるはありがたし 正法(みのり)を 耳にするはかたく 諸仏(みほとけ)の 世に出ずるも ありがたし
という一節があります。前半は人命の尊さについて、後半は人生の目標となる教えや人々との出会いについて説かれた教えです。
あらためて考えてみますと、人命は平等に尊いものですが、人生とはけして平等ではありません。たとえ兄弟姉妹であったとしても、一人一人顔も違えば性格も異なります。それぞれの命が平等だからといって、同じ様な人生になる筈はありません。むしろ十人いれば十通りの人生がある筈です。
ところが日本人は横並び意識が強く、「他人が持っているものを持っていない自分は不幸である」と考えがちです。また格差が拡大している昨今では、無関係な人に不満をぶつける無差別殺傷事件も後を絶ちません。法務総合研究所が平成二十五年に発表した「無差別殺傷事犯に関する研究」によれば「事例数としては、自己の境遇に対する不満によるものが最も多く、次いで特定の者に対する不満であった」 とあります。一部では「親ガチャ」という言葉が流行し、人生の価値が出自で決まるというような風潮さえあります。
しかし人生というのは誰かから与えられるものではありません。自分自身で切り拓いていくものです。有意義な人生をおくるのも、そうでないのも、それを決定するのは自分自身の行動です。それはけして生まれ落ちた境遇で全て決まるものではありません。
大谷翔平選手が、高校三年生の時に書いた人生のスケジュール表を見ると、真ん中に大きく「人生が夢をつくるんじゃ無い!夢が人生をつくるんだ!!」と書かれています。「恵まれている人生だから夢を持つことができる訳ではない。夢に向かって努力することが素晴らしい人生を作るのだ」という意味でしょう。弱冠十八歳にして流石だと言わざるを得ません。そうした心構えで生きてきたからこそ現在の大活躍もあるのでしょう。
勿論、育った環境など、私たちは周囲の影響を受けずに生きて行くことはできません。恵まれた家庭に生まれた人もいれば、そうでない人もいます。健康な身体で生まれた人もいれば、生まれつき病気がちな人もいます。それらは授かりものですので選り好みはできません。有り難く頂くしかありません。
しかしどんな境遇にあったとしても、どう生きるかは自分次第です。だからこそ大切なのは人生に正しい目標を持つことです。そして目標を達成する為の具体的行動を継続することです。今幸いに私たちは、大谷翔平選手の姿から、そのことを自分の目で学ぶことができるのですから。