法話の窓

「新しい環境でも気分は楽に」

 4月、入学式、入社式。新学期、新年度が始まるのもこの時期ですよね。
もう30年以上も前のことですが、この時期に私は修行道場に入門しました。禅の修行といえば坐禅です。一所懸命に坐りました。足をしっかり組んで背筋をしっかり伸ばして単布団(坐禅用の座布団)にどっかりと坐りました。
 坐禅の仕方は一応知っていましたが、専門道場での坐禅ですからしっかりと気合いを入れて取り組みました。その度合いが過ぎたのでしょう。この痛みを越えたところに悟りがあるんだ、この先に違った世界が広がっているんだと、強く自分自身に言い聞かせて迷ったのです。それが間違いでした。坐ったまま失神してしまったのです。
 気づいた時には禅堂から運び出されて、違う部屋で休んでいました。先輩修行僧が付いてくれており、私は自分の思いをぶつけました。しかし先輩は「バカモン。周りには平気そうに見えるかもしれんが、誰だって痛いわ! 少し力を抜いて楽な気持ちで生きるのがコツかな? 警策で打たれまいと坐るんじゃなく、打たれるままで良いんだよ」と。
 それ以後、少し気が楽になったというか、警策でよく打たれるようになりました。

 高浜虚子の作句に 「春風(はるかぜ)や 闘志(とうし)いだきて 丘に立つ」というものがあります。ネットで検索すると、虚子が39歳の時に、俳壇へ復帰した際に詠んだ句だとありました。

 さらにこの句の背景にある事情が気になりました。
 正岡子規の弟子であった虚子。子規の後継者として、俳句文芸誌「ホトトギス」の運営をしてはいましたが、時代は俳句よりも小説のほうが好まれていました。そして虚子自身も小説のほうに傾倒してゆくようになります。必然的に、俳句文芸誌「ホトトギス」が小説文芸化してゆきます。そんな最中(さなか)、虚子と同じように、子規の弟子であった河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)が新しい作風(自由律)を提唱し始めます。虚子は碧梧桐と親しかったのですが、この作風には相容れず猛反発しました。そして「ホトトギス」も俳壇のことを中心に取り上げて原点回帰。虚子は「客観写生」と「花鳥諷詠」を提唱し、俳句の世界に復帰し、自身の作風の確立に至るのです。

 「闘志いだきて 丘に立つ」からは力強さとか、心念のようなものが感じられますが、「春風や」からは、肩肘を張らない、風を受け流すといった心境が読み取れませんか。心地よい気分さえも。「強風や」とか「春嵐」じゃないですから。きっと「ホトトギス」発行運営も心念は持ちながら、肩肘張らずしっかりとしてゆこうとする虚子の心境が詠まれているんじゃないでしょうか? まるで私の坐禅修行です。先ずは余分な力を抜いて、細く長くといった気分になることをも詠み込んでいるのではないでしょうか。
環境が新しくなっても、今迄の延長上にある世界だと、気分を楽に歩んでみませんか?

 

和田牧生

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