回光返照
妙心寺では、令和九年に興祖微妙大師の六五〇年遠諱を迎えます。微妙大師とは、開山・無相大師のお弟子である授翁宗弼禅師(妙心寺二世)のことです。興祖とお名前の頭につけられていますが、これは妙心寺開創期に建物を造営し開山さまの教えを興隆された祖師ということから、尊号として冠されたものです。その微妙大師が亡くなられてから六五〇年の節目を迎えることとなり、令和八年から正当年である九年にかけて、遠諱団参や様々な記念事業の計画が進められています。
図らずも小衲は、遠諱事業のお手伝いをする役目をいただき、先日、化縁(寄付集め)のため山川宗玄・霧隠軒管長猊下をお訪ねしました。寺院関係で寄付をしていただく時には、寄付の額面を「勧進簿」という帳面に書いてもらうのですが、猊下はその最初のページに「回光返照」と揮毫されました。この四字句は、臨済宗の宗祖である臨済義玄禅師の言葉を集めた『臨済録』に示されている教えです。
ある僧侶が臨済禅師に質問します、「如何なるか是れ西来意」と。「西来意」とは、「禅宗の初祖である達磨大師がインドから中国にやってきた意図」ということ、「達磨が伝えた禅の真理は何か」という質問になります。これに対する臨済の答えの核となるのが「回光返照」という言葉なのです。
「回光返照」とは自分の中にある智慧の「光」を外に向かって放つのではなく、方向を変えて自分自身の中に向けて照らすということです。ここでいう「光」とは、自分の中で静かに輝いている、仏性のはたらきをいうのだと思います。本来、自分に具わっている素晴らしい人間性を仏性と言います。これをしっかりと見て取るのが悟りであり、禅宗の修行の目的なのですが、ともすれば私たちは自分の外に真理があると思い込み、外に向かって探し廻ってしまいます。それはまったく見当外れの間違いなのです。
ご存知の方も多いかと思いますが、星野富弘さんという詩人がおられます。残念なことに今年四月に、享年七十八歳で亡くなられましたが、「回光返照」という言葉を見ていて、星野さんの詩を思い出しました。星野さんは群馬大学を卒業し、中学校の体育教師となりました。ところが二十四歳の時、器械体操のクラブ活動の指導中、模範演技をしていて頭から墜落する事故が起こり、首から下が動かなくなってしまいました。そして、不自由な生活を強いられる中、つきっきりで世話をしてくれるお母さんに対してさえ、絶望から怒りを爆発させてしまうのでした。自分一人では一生、何も出来ないのか。そんな思いが彼の心を占めていたのでしょう。
しかしそんな中でも、生きる意味を教えてくれたのは、それまで気にもとめていなかった野の草花でした。
この花は
この草にしか
咲かない
そうだ
私にしか
できないことが
あるんだ
『〈花の詩画集〉種蒔きもせず』星野富弘 著 偕成社
口にくわえた筆で四季の花々を描き、言葉を添える。初めてそれができた時、希望が浮かび上がった、と星野さんは振り返っています。
星野さんの作品に多くの人が勇気づけられるのは、そこに人間一人ひとりの中に具わっている限りない強さとやさしさを見出すことができるからだと思います。
私たちは、毎日の暮らしの中で、仕事でも、あるいはプライベートでも、しばしば壁にぶち当たります。しかし、人間誰しもその壁を乗り越えていける力が宿っているのです。もちろん、そこには精進という自身の姿勢が必要とされます。
精進とは、仏道に限らず、自分がなすべき事柄に、ひたすら励み進むことです。努力と似通っていますが、人間の中にもともと具わっているのに、ともすれば埋もれて見失われている仏性、つまり私たち人間を人間たらしめている本質を掘り起こし、人間性を向上させるための心をいうのです。
お釈迦さまは「人生は苦である」と説かれています。苦しみや悲しみを避けて通れないのがこの世の常理であり、それに耐えていくしかありません。つまり人生は思うようにならないものだと知る、それこそ人間の智慧だと思うのです。
星野富弘さんがその人生を通して示してくれたように、「行きづまり」の中に解決策があり、「孤立」を打ち破るところに人生の転換があるといえるのではないでしょうか。現実の生活の苦しみに体当たりしていく。そこに、自分が変われば周囲が変わる人生の妙境がひらかれるのだと思います。
この度の遠諱を縁として、管長猊下から示された「回光返照」の言葉によって、人間として目指すべき祖師の教えをまた一つ学ばせていただけたと心より感謝いたしております。
澤田慈明