法話の窓

心のふるさと(2008/06)

 6月26・27・30日と7月1・2日は、新亡供養が行われます。その際にご参拝予定の方もおられることと存じます。

 

 掃き清められた境内に歩を進めると、縁の松は色冴え、七堂伽藍がそびえる静寂そのものの聖地こそ、わが大本山妙心寺です。

 

 その開創は、第九十五代花園天皇の発願によります。天皇は譲位後、仏門に入られ、特に禅の教えに深く帰依されました。
 さらに当時の乱世を憂いて離宮を禅寺とし、無相大師を招いて開山とされました。これが正法山妙心寺の起こりです。
幾多の風雪に堪えてきた大伽藍をしみじみと仰ぎみるとき、花園天皇の「報恩謝徳、興隆仏法」の切なる願いが思い出されてなりません。
 遥かインドから伝えられてきた仏教が、歴代の祖師方やご先祖に護られて今日まで途切れることなく伝わってきたことの尊さ、有り難さを感ぜずにはおられません。
 山内の霊雲院には哲学者西田幾多郎先生のお墓がありますが、先生の歌に


   わが心深き底あり 喜びも憂いの波もとどかじと思う


とあります。
 私たちは常に何かにとらわれて、右往左往しています。その一方でそうした心を冷静に見つめて正していく、心のふるさと=仏心をもっています。
この仏心に目覚めて、家庭や社会をなごやかにしていくことこそ、禅の教えに他なりません。


 南門を入ると左手に放生池があります。生きものの生命を奪わず、すべてのものに思いやりの心をむけていこうという教えがあるのです。
 この放生地には石橋がかかっています。古来から妙心寺の住職はこの石橋を渡ることによって、こころのふるさと=仏心を自覚し、仏法の興隆に生涯を捧げてこられました。
 私たちも妙心寺参拝をご縁に、お釈迦さまや祖師方のみ教えに触れて、自身の内にある真実の心、心のふるさとに里帰りをしてまいりましょう。

 

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妙心寺参道の石畳


 この石畳は明治時代の管長・蘆匡道老師が、晩年ご自身の信施を投じて完成されたものです。匡道老師は、はじめ大阪の少林寺に住職されましたが、その後京都府八幡の圓福寺・海山老師のもとで修行を続けてお悟りを開かれました。妙心寺山内の道が雨のたびにぬかるみになるのを気の毒に思い、報恩のために石畳の寄進を決意されました。
 石畳が完成するころ、匡道老師は八十歳を超え、病床にありました。参道を歩く音を聞かれて「ああ、ありがとう、わたしの石畳を踏んで通ってくださるなあ」と涙を流して喜ばれたといわれます。

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