法話の窓

ある日 ある所で ある人との会話(2008/10)

「あのう、すみません。和尚さんは、何宗の方ですか?」

 

「わたしは臨済宗妙心寺派の住職ですよ」

 

「ちょっと、お時間があれば教えていただきたいことがあるんですが」

 

「いいですよ。原稿用紙四枚ほどの時間しかありませんが......」

 

「わたしは、今年、母を亡くしたのですが、それまでは死ということをあまり考えたことはありませんでした。しかし、死は大変なことだし、自分もいつかは死ななければならないと思うと仕事もできないほど不安です。どうしたらいいんでしょうか」

 

「わぁ、大変な質問ですね。そうですね。生あるものは、いつかは必ず、死んでいかなければならない宿命をもっています。残念ながらこの原則にはまったく例外はありません。 どうしてわたしたちは、生まれ、年を取り、病気をして、死んでいくのか。 お釈迦さまはここに大きな疑問をもたれ、出家をされ、難行苦行の末、お悟りを開かれてこの仏教が始まったわけです。 この生老病死は四苦といいますが、我々にとっても大きな問題なのです」

 

「お釈迦さまの人生は苦なりという教えの苦は、すべてのものは自分の思い通りにはならないのだという教えでもあります。何事も自分の思い通りにしようとすると、苦しみ、悩みが生じてきます。 勿論、生まれることも、死ぬことも思い通りにはなりません。できたら、男性に、女性に、ハンサムに、ベッピンにと思い、その通りに誕生できましたか。 年取らずにいつまでも少年少女のまんま、病気一つせずに健康で、極めつけはいつまでも死なないでなんて不老不死の極意を得ることができるでしょうか」

 

「回りの人々は順調に年を重ね、順調に亡くなっていく。同級生たちが年を取り、亡くなっていくのに自分だけ取り残されるのも嫌なものではないでしょうか。 思い通りにならないことを、どうにかしようとするから苦しみ悩むのです。すべてを素直に受け止める。過去のことも、現在のことも、未来のことも。 なんともならないことに抵抗しても苦しいだけですから、目の前に起こる現象を淡々と受け止める。 それと、私は思うのですが、みんな生きることは苦しいのです。それぞれ悩み、苦しみを背負いながら生きているのです。決して自分だけではない。ともかく一回限りの人生ですから、すべてのことを受け入れて、できる限り明るく、楽しく、この命を使わせていただいたほうがいいと思いますね」

「あの世に行って戻って来た人はいませんが、いつかあちらに行った時に、亡くなられたお母さまと会えると思われて、いま、いまを大事に一生懸命に生きられたほうがお母さまも喜ばれるだろうし、なにはともあれ、死に恐れおののいて暮らしているわが子の姿をご覧になられたお母さまは、どれだけ心配されるか」

 

「そうですね。思い通りにならないことを思い通りにしようとするから苦しむのですね。 なんとなく、気持ちが軽くなったような気がします。でも、また、不安になった時はどうしたらいいでしょうか」

 

「そういう時は、お墓参りしてお母さまとお話ししてください。きっと、なにか、アドバイスしてくれると思いますよ。 それと、お寺に行って和尚さんとお話ししてみてください。お寺はそもそも、生きている私たちの人生の学校なのですから。 ちなみに妙心寺派のお寺は全国に三千四百カ寺あり、人生の勉強ができます。是非、お訪ねください。そして、元気に、明るく、生きてください。これが一番、お母さんが喜んでくれることです。よかったら、うちのお寺にもお茶飲みに来てください」全国の皆さん。

 

古山敬光

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