法話の窓

見えないところが大切(2009/03)

 みなさん、おはようございます。今日は、「目に見えないところが大切です。毎日、感謝の心で暮らしましょう」というお話をさせていただきたいと思います。


 お釈迦さまは、人は生れによって立派な人や、愚かな人になるのではなく、行いによって人は優れた人になり、劣った人にもなると教えて下さいました。まず今日は、この行いということについて、お話しさせていただきたいと思うのですが、いわゆる三つの行い(三業)ということであります。

 行いには、三つの種類があるというのです。
   

   身体の行い(身業)
   口の行い(口業)
   こころの行い(意業)


この三つの行いが私たちの人生を作ってゆく。これが仏さまのみ教えであります。順番に考えていきましょう。


 第一 身体の行い(身業)
これはとてもよくわかります。この身体を使って歩いたり食事をしたり、一生懸命働いたり、すべてこれは身体の行いであります。普通、行いというのはこの身体の行い(身業)のことでありましょう。


 第二 口の行い(口業)

これは私たちが話している言葉であります。「おはようございます」という挨拶、「ありがとうございます」という感謝の言葉、その他その他。そのひとつひとつが口の行い(口業)であります。
さて、この身体の行いと言葉は、目で見ることができるし、耳で聞くことができます。世間は普通、この二つの行いによって人を判断します。あの人はいい人だとか悪い人だとか。そして、それでいい気持ちになったり反発したり。でも行いはこの二つだけではないとお釈迦さまはお示しになりました。身体の行いや言葉よりも、もっと大切なもの、それは、


 第三 こころの行い(意業)
あまり聞きなれない言葉ですけれど、こころの行いというのはどういうことでしょうか。例えは少し悪いのですが、私がどうしてもゆるせない人があって「あの野郎殺してやりたい殺してやりたい」と千回、一万回こころの中で想っても、毎日毎日それを想い続けても、警察は私をつかまえることはできません。心の想いは法律上の罪ではありません。法律上の罪ではありませんが、その「殺してやりたい」という想いが、真理の立場から見たら行いであり、それが見えないところで私たちの人生を作っている。これがお釈迦さまのみ教えであります。お釈迦さまは、身体の行いや言葉よりも、このこころの行いが最も大切であると、お示しになっているのです。


 私どもは、人の見ているところでは、そう悪いことはしません。でも、人の見ていないところが大切なのです。人の見ていないところ、こころの中で、毎日どのような生活をしているのか。ここがまさに幸福と不幸の分かれ道なのだと思います。


 妙心寺の生活信条に「生かされている自分を感謝し、報恩の行を積みましょう」と教えていただいております。人の見ていない、こころの中で、いつも「ありがとうございます」という感謝の想いをもって、光の心で暮らすことをお互い練習してゆきたいと思うのです。


 朝目覚めたら、ふとんの中で数分間「ありがとうございます」と心の中で、感謝の祈りをしましょう。ありがとうございます、ありがとうございますとしばらく唱えていますと、心の中に明りが灯ります。その光の心で毎日ふとんを出ることを、習慣にしていただきたいと思います。そして一日の生活のいろいろな場面で、この「ありがとうございます」をこころの中で唱えていただきたい。夜は「ありがとうございます」を想いながら眠りにつく。目に見えないところを大切に、感謝で始まり感謝で終る一日。それが幸福への一番の近道であると私は信じます。

山本盛徳

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