法話の窓

同事(2009/04)

 『禅 自らを調え 生活を調えましょう』というテーマは、本年で四年目を迎えます。すべてが安直で移ろいやすい現代に、四年間かけて、一つのテーマを温めて追究することは、とても大切なことだと思います。とくに、私たちにとって、坐禅は肝心なことです。


 静かに坐って、自分自身を見つめることが私たちの基本だとすれば、これほど単純な教えは他にないと言えます。よく真宗(浄土宗)を「易行」(やさしい教え)と言いますが、果たしてそうでしょうか。「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えるにも、私たちは口を開かなければなりません。また、日蓮上人はお題目をを唱えることを教えられましたが、それも口を開きます。してみると、静かに坐るだけでいいというのは、実にシンプルであることがわかります。しかも、ただ坐っているだけで、しだいに心が清くなってきますから、これ程ありがたいことはありません。

 


 私がはじめて修行にはいった頃、よく老師様から「一つになれ」と言われました。坐禅をする時、他のことを考えずに、坐禅三昧になりなさいという教えですが、中々その境地に到達することはできませんでした。
 しかし、この頃こう考えるようになりました。静かに自分自身を見つめていますと、自分と他人との垣根がだんだん低くなり、やがて境界がなくなります。自分と自然の対立がなくなります。「一つになる」ことは、自他の対立を越えることに、ほかならないような気がします。


「生活信条」の二に
「人間の尊さにめざめ 自分の生活も他人の生活も大切にしましょう」
とありますが、自らを調えることの次に、このことばが続くのは実に絶妙な気がします。
さて、過去三年のテーマに、年ごとに三つのサブテーマが設けられ、実践してきました。復習をかねて掲げてみますと、順に

 

一、みんなで幸せになれるよう 喜びを与えましょう(布施)
二、みんなで幸せになれるよう 優しい言葉で語り合いましょう(愛語)
三、みんなで幸せになれるよう 心のこもった助け合いをしましょう(利行)
そして、本年のサブテーマは、
四、みんなで幸せになれるよう 人の身になって尽くしましょう(同事)
です。

 

 これらの四つのテーマは、『四摂事』という教えによっています。『岩波仏教辞典』によると「摂」は引き寄せてまとめるという意味で、人々を引きつけて救うとあります。それでは、本年のサブテーマについて考えてみたいと思います。
 ご本山妙心寺のご開山無相大師様は、実に質素な方だったようです。お客様が来られた時にお盆が無くて硯箱の蓋にお菓子を載せて出されたぐらいです。
そんな日常ですから、ある日雨が降って室に雨漏りし始めました。「雨漏りだ、何か持って来い」と開山様が言うと、みんなあわてて器を探します。息をきって最初に飛び込んで来たお弟子さんが、持って来たのは笊でした。ご開山様は、このお弟子さんを大変褒められました。
落語のような話ですが、大変なことを教えているような気がします。雨漏りという声を聞いて、雨を受けるものをと、目の前にあった笊を持って駆けつけます。このお弟子さんは、雨が漏って開山様が困っておられる、何とかしなければという純粋な心だけです。ですから、ご開山様は良しとされたのだと思います。


 「人の身になって尽くしましょう」ということは、自分と他の人との間に、垣根がないということです。このお弟子さんのように自分の心が、そのまま他の人の思いやりにつながっていることにほかなりません。


 「自らを調え 生活を調えましょう」という静かなゆったりとした心があって、そこから自然に働き出すものが、布施・愛語・利行・同事の「四摂事」なのではないでしょうか。

新野建臣

ページの先頭へ