母に向き合って(2009/06)
平成十六年六月二十五日の早朝、母が、五年余りの痴呆介護老人生活のはてに、苦悶の跡もない穏やかな寝顔を残して、九十一歳の生涯を閉じました。日々の生活、身のまわりのことを小まめに、几帳面に淡淡とやる堅気な人だった。その母が転んで軽くおでこをうったことが原因で一カ月半入院することになった。これが母の変貌のはじまりでした。この時から、私はこれまでの人生ではじめて、身近に、直接に母という人間と向きあうことになった。
戦後まもなく、勤め人だった父が死に、たった一人の弟を八歳で失い、結局母一人子一人の身の上となって、坊さんだった母の父の田舎の寺で、私は十五歳まで育ててもらった。母の苦しみや悲しみ、また喜びを心でも肌でも感じることも少なく、全く頓着なくかって気ままな生活をしてきた親不孝の息子だった。
母は、一カ月半の入院で、かえって足腰も弱くなり、痴呆も進んですっかり病人になってしまったようで、退院後は、話すことがだんだんちぐはぐになり、記憶も曖昧で、大きな声でひとり言をしゃべり続ける母を怒鳴ったり、またいとおしくなったり、四六時中怒りと優しさとの葛藤だった。急ぎの用事もなくゆったりした気持ちで母の側にいる時には、とりとめのないことを話しかけたりして、私は、母の過去を思いながら、自分のこれまでの人生を悔恨とともにふり返っている自分に気がつきました。失敗や絶望そして時には喜びのくり返しの人生は、無数の人や物とのかかわりと機縁の中で生かされ導かれてきたんだと思われました。黙々と働いて日暮らしをしてきた母が、私の人生の縁起の根っこのところにいつもいたことに気がつきました。母が死んであれこれと反省と悔恨ばかりではあるけれど母により添い、かみさんと協力し、ヘルパーさん達の助けを借りながら介護にあたってきた中で、お釈迦さまのいう「縁起の理」のことが多少なりとも実感できたことは確かであると思っています。そして、平成十四年から四年間の本山の教化推進テーマが 「四摂事」と定められて、私はこのテーマの実践研修を母の介護に向けていました。
原始仏典のひとつ『シンガーラへの教え』の中にはこう述べられている。
「 一、布施--施し与えること
二、愛語--親愛の言葉を語ること
三、利行--この世でひとのためにつくすこと
四、同事--あれこれの事がらについて協同すること
これらが世の中における愛護である。あたかも回転する車の轄のごとくである」
今年はその四番目、「同事」がテーマです。「人の身になって尽くしましょう」と示されています。
言葉で示せば簡単でやさしいことのようですが、いざ実行できるかというとなかなかむつかしい。介護にしても、毎日のこととなると母の身になって、優しい気持ち、言葉をもって尽くしましょう、とわかっていても続かない。ともあれ、いろいろあって、いろいろ学んだような気がしています。
死の床の母をみて、みんなが「きれいだね。仏さまみたいね」と言ってくれた。かみさんがボソッと言った。「おばあちゃんは、いつも『ありがとう』と言ってたね。きっと、ありがとうと言って旅立っていったと思うよ」
現実の〈ホトケ〉は縁起と慈悲の中にある。その〈ホトケ〉は自分を見つめ、他人と向かいあうところに現れる。そんなことを母が教えてくれたような気がしています。
松島恵定