法話の窓

悟りとは何か?(2010/01)

 明けましておめでとうございます。

 〈悟りって一体何だろう?〉と思っておられる方には、さらにおめでたい朗報です。
 西片義保管長さまは、この疑問にズバリ答えて下さいました。

 悟り(サトリ)とは何か?
 それは差(サ)を取り(トリ)去ることだ

 私は、身体に電気が走るような感動を覚えました。語呂合わせだけではなく、「悟り」を見事に言い当てていらっしゃると思ったからです。

 

 私は、身体に電気が走るような感動を覚えました。語呂合わせだけではなく、「悟り」を見事に言い当てていらっしゃると思ったからです。

 「差を取り去る」とは、自分の思いをカラッポにして、状況や相手の気持ちをそのまま受け止めることです。実は、これが今年度のサブテーマ、「同事」の教えなのです。状況や相手の気持ちをそのまま受け止められれば、それらに対して正しく対処できます。正しく対処できるとは、すなわち人の身になって尽くせるということにつながります。

 

 「苦しい時の神だのみ」とはよく言われますが、神様は休業の日もあるでしょうから、そんな時は「苦しい時の差取り」と覚えていただきますと、ご利益があると思います。
私が瑞龍寺専門道場へ入門して一か月ごろのことです。あわただしい毎日のくり返しで、少しイヤ気がさしていました。その日も、午後三時になると風呂を焚き付け、本堂に向かいました。香炉の灰を直すためです。香炉は、朝のお勤めの時、老師が焼香をされるので毎日よごれます。ですから、毎日清掃しなければなりません。香炉の灰は、ちょうど富士山のように円く盛り上げ、上部を平らにして炭を置けるようにします。これをバターナイフのようなもので整えるのです。時間が過ぎ去っていくので焦ります。すると形が崩れます。〈面倒くさいなあ〉と思いつつも、自分の納得できる形に整えると、台所に戻って夕飯の支度を手伝っていました。

 

 夕方、老師が風呂から出られて、「出たよ」と声をかけられたので、「はい」と返事をしました。すると、前方から副司(会計)さんが通りかかったので、老師が声をかけられました。

「あっ、副司さん、今香炉を直しておるのは誰かな?」
「はいっ、秀ソです。今度新しく入ってきた雲水です。」

副司さんが答えると、「そうかな」と言われて部屋へ帰って行かれました。
全く信じられないような会話でした。副司さんの言う「秀ソ」とは私のことなのです。 〈老師は見ていて下さったんだ!〉私は全身が熱くなるのを感じました。副司さんへの問いかけではありましたが、明らかに私へのメッセージでした。おかげでイヤ気がさしてきた作業も、前向きに取り組めるようになったのです。

 

 老師は禅問答の時、自ら叫んで答えを言ってしまわれることもありました。また、緊張感がないと見て取ると、何も悪くないのに叱ったり、逆に失敗しても本人が反省していると見れば、注意をされませんでした。ご自身も修行され、相手との差を取り去ることによって適確な指導をされたのだと、今は思い返されます。まさに生まれようとする雛鳥が卵の内側をつつく時、外側からつついてカラを割る親鳥のような、そんな「同事」の方でした。

 

 老師をお手本に生きるには、「差を取り去ることだ」と知りました。職場や家庭で意見が異なりますと、自己主張をし合って平行線をたどることがあったのです。しかし、心の引き出しから管長さまのお言葉を取り出しますと、「考えは違って当然なんだ、相手はそう思っているんだ」と差が縮まって、口論にならず解決の糸口が見い出せそうです。
皆様のご家庭では、食事や子どものしつけ、生活習慣の違いなどで、意見が異なることはありませんか? 年頭に当たり、「悟りとは差を取り去ることだ」と心の引き出しに納めておいて下さい。きっと老師のように良いアドバイスができ、良い一年になると思います。

飯沼宗秀

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