法話の窓

生き場所がここにもあった 屋根の草(2010/06)

 屋根の草......屋根に生えた雑草はえらいものです。あんな瓦の狭い隙間に根を下ろし、その命の枯れるまで不平不満をいうでもなく、ただ一所懸命に生きております。
これが私たち人間だったらどうでしょうか。さぞかし「ここは狭くてかなわん」「夏は暑くてたまらん、冬は寒い」といった具合に文句や不平不満が絶えないのではのではないでしょうか。

 

この屋根の草のように、どんな生活や境遇にあっても、周りにとらわれない自由な自分自身で、常に主体性を持った生き方を、禅では「随処に主と作る」と言います。
私の寺の檀家さんで、ガンに冒され、やがてやって来る「死」という苦しい随処に立たされながらも、その辛さから逃げずに、最後まで自分を決して見失わず、冷静にそれを迎え入れることができた方のお話を紹介します。
この方は大門重一というおじいさんで、いつでも「自分のことより、まず、みんなのために」がモットーの、実に気持ちのいい方でしたので、子供からお年寄りまで、たくさんの方々から慕われておりました。
このおじいさんは数年前にガンで亡くなられましたが、亡くなる二年前、八十三才の時に医者からガンの告知を受けました。その時おじいさんは、自分の家族に「心配はするな。自分は今までにやりたいことは全てやった、思い残すことは何もない。それにワシは、あのお釈迦さまや父親よりも長生きさせてもろうた、有り難いことだ。これからは残された一日一日を仏らしく生きたいと思う」と静かに話したそうです。


 もともと深いご信心の持ち主でしたが、それからも抗癌剤の投与を受けながら、お寺の法要などの行事には欠かさず出席されました。しかもなんとガンでありながら高齢者大学へ通い始められたのです。そして一年後、その卒業式で、おじいさんが大学の学長から表彰をされている様子がテレビで大きく映し出されたのですが、それを見ていた周囲の人たちはとても驚いたそうです。年をとってガンに冒され、肉体的にも精神的にも難儀だったろうに、それでもなお学ぼうとする前向きな姿勢。自分で自分の生き方を決めて、それを実行する。この生きざまに脱帽せざるをえませんでした。


 その後、おじいさんは入院されました。おじいさんにはガンの激しい痛みがあったのですが、面会に訪れた人には、愚痴や苦情は一言ももらさず、いつも笑顔だったそうです。そして面会の人が帰る時には、必ず合掌して「さようなら」と拝むのでした。


 そうして最後は、家族に見取られながら人生の幕を閉じられました。それは、お釈迦さまがお悟りになられた成道会(十二月八日)の早朝、まさに最後まで仏らしい生き方でした。
おじいさんは、残されたご自分の寿命というものを極めて冷静な目で見つめ、残された人生の一日一日を投げやりではなく、最後の一日まで精一杯に生き抜こうとされたのです。


 すなわち、ガンという、まるで死を宣告されたような重い病の中にあっても、決して自分を失わず、最後の最後まで随処に主と作って、ガンという病気に振り回されるどころか、逆にガンと言う病気を縁として自分の人生を主体的に自由自在に操られたのでございます。


 禅では「今、ここ、わたし」と言って、今、この場所から、己のなすべきことに私事を挟まずただ淡々とやって行く、これが皆さまの日常の修行なのです。省みれば日々過ちの多いお互いではございますが、今の自分に何ができるのかを考え、それに向かって努力しようと思った今、そこが禅の入り口であり、私が立っている所、坐っている所を除いて他に真実はありません。私たちも、いずこにおいてもどんな逆境に立たされようとも、活き活きと生きて行けるようにしっかり精進して参りましょう。

五葉光鐵

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