法話の窓

おかげさま(2010/07)

 日本人にはもう「みんなが幸せになれるような心のこもった助け合いをしよう」という精神がないのではないかと危惧していました。しかし、阪神淡路大震災の折には、現地に大量の救援物資が集まり、大勢のボランティアが復興支援をして、人々に善意や誠意というような人情が豊かに具わっていることを証明しました。


 時が経つにつれてその記憶がうすれていきますが、人々の善意は、例えば「小さな親切」運動というような目立たないところで生きづいています。
 「小さな親切」運動は、「できる親切はみんなでしよう、それが社会の習慣となるように」をスローガンに、昭和38年6月13日に発足しました。会員によって推薦され「小さな親切」実行章を受章した人は、平成15年11月現在、437万人を超えたとのことです。助け合いの心は薄れていないことを実感します。


 この運動は、
 ①朝夕のあいさつをかならずしましょう。
 ②はっきりした声で返事をしましょう。
 ③他人からの親切を心からうけいれ、「ありがとう」といいましょう。
 ④人から「ありがとう」といわれたら、「どういたしまして」といいましょう。
 ⑤紙くずなどをやたらにすてないようにしましょう。
 ⑥電車やバスの中でお年寄りや、赤ちゃんをだいたおかあさんには席をゆずりましう。
 ⑦人が困っているのを見たら、手つだってあげましょう。
 ⑧他人のめいわくになることはやめましょう。


 という八か条を掲げ、誰でもいつでもどこでもできることから始めようと呼びかけています。
 この中の「他人のめいわくになることをやめましょう」という呼びかけは、一見消極的ではありますが、助け合い精神の根本だと思います。私は、これに「他人のめいわくになることをしてしまった時は素直に『ごめんなさい』と言いましょう」というのを加えたいと思います。
 先日、いつも入れている引き出しに爪切りが見あたらないので、てっきり妻が使って元の場所に返さなかったと思い込み詰問したところ、「自分でテレビの上に置いたんでしょ。ボケたんじゃないの」と斬り返され、ついカッとなって口論がエスカレートしてしまいました。


 最初に自分の思い込みの非を認めて素直に「ごめん」と言えば無事に済んだのですが、「ボケたんじゃないの」の一言が謝らずに我を張る後押しをしたのでした。しかし、あらぬ疑いをかけて不快な思いを起こさせたのが私の思い込みであったことは確かで、それをスッカリ忘れていたのですから、やはりボケてるのですね。『論語』に「過ちては則ち改むるに憚(はばか)ることなかれ」という語がありますが、私にとっては過ちを改める以前に、相手に迷惑をかけたという過ちを過ちと素直に認めることが必要だったのです。


 もし素直に「ごめんなさい」と言えたら争いは少なくなるでしょう。そのような素直な心で世の中を見ると、自分一人の力で生きているのではないと気付き、「おかげさま」という気持ちが生まれるでしょう。そのような気持ちがあれば、人が困っていればきっと手伝うでしょうし、みんなが幸せになれるよう心のこもった助け合える住みよい社会をつくることができるでしょう。そこで花園会員の皆様には、あらためて「おかげさま」運動の推進を提案したいと思います。

岩村宗康

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