法話の窓

挨拶の力(2011/07)

 最近私達の身近にある機械がよくしゃべるようになりました。先日も銀行のATMで振込をしていますと、「最初からやり直して下さい」と機械から注意を受けました。自動車に乗れば、『カーナビ』と呼ばれる機械が実によくしゃべり、道案内をしてくれ、目的地へと誘導してくれます。逆にお寺に戻って来た時には、「自宅に到着しました。御疲れ様でした」とねぎらいの言葉までかけてくれます。
 それに比べて、人間のほうがだんだんとしゃべらなくなってきているのではありませんか?実に無愛想な人に出会うことがあります。挨拶を返してくれなかったり、必要最低限の単語しか話さない人があります。人はお互い声をかけあい、意見を交換し、良い言葉をたくさん使うところに、人間らしさ、価値があると思うのです。
 皆さんはどうでしょうか、人に出会ったときに挨拶をしたり、真心のこもった言葉をかけたりすることを、だんだんとしなくなってきていませんか?


 仏教には『愛語』という言葉があります。これは「人に対して、親しみのある心のこもった言葉をかけなさい」という教えです。
 また道元禅師は『愛語』について「愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり」と言われております。これは「心から愛情に満ちた言葉は、天をも引き回す程の力があるのだから、聞く人の一生を左右するという事を深く考えなさい」ということです。
 このように愛情に満ちた心のこもった言葉を使う事は、大切な教えの実践であり、それによって自分も相手も正しい道へ進ませるほどの大きな力があるものです。
 私は『愛語』のなかで一番大切であり、身近に実践できる事は挨拶だと思います。私は毎朝、境内を掃除していて出会う人とニッコリ笑って挨拶を交わすようにしています。朝の澄んだ空気に、さわやかな挨拶、とても素晴らしい一日の始まりをさせていただいております。とても良い気持ちになれます。「おはよう」「こんにちは」だけでなく、失敗をしてしまった時には「ごめんなさい」と素直に謝り、何か人にしていただいたときには、心から「ありがとう」と感謝の気持ちを表す。そういう言葉が、人と人とが暮らしていく上で大切な事だと思うのです。


 ある中学校で生徒たちが、明るい笑顔のあふれる学校にしようとみんなで話し合い、そして笑顔は挨拶からと、全校で『あいさつ運動』を始めました。そしてそれから約三ヶ月後、この学校に一通の手紙が届きました。「私は、そちらの中学校の通学路沿いに住む七十二才のおばあちゃんです。十年前に主人に先立たれてから、いつになったらお迎えが来てくれるかと日々過ごしてきました。そうしたら数ヶ月前から、朝、私が家の前を掃除していると、そちらのたくさんの生徒さん達が、『おばあちゃん、おはよう』と声をかけてくれるようになりました。そして多くの生徒さん達とお友達になれました。孫が一度にたくさんできたようで、私の心にたくさんの花が咲きました。生徒さん達に咲かせていただいた心の中のお花を、少しでもお返しできればと、この春、お庭にたくさんの花の種をまきました。夏になってお花が咲きましたら、お届けします。ぜひ教室に飾ってください」という内容でした。

 

 人に出会ったときに挨拶をする。小さな小さな言葉の施しです。しかしその『愛語』によって学校全体が、それどころかその地域を明るくし、笑顔と喜びを生み出したのです。挨拶という小さな慈しみの行為が、多くの中学生の心の中に、そしておばあさんの心の中に大きな花を咲かせたのでした。
 物は人にあげるとなくなってしまいます。しかし、優しい心や愛情のこもった言葉は人にあげてもなくなりません。そして相手に喜んでもらうことによって、優しい心は増えていくのです。

寺町宗峰

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