法話の窓

言葉の力(2011/08)

 胸の奥底から出た真実の言葉は、人生を百八十度変える力があります。それを仏教では「愛語(あいご)」といいます。
 私の幼なじみで、たった一言の温かい言葉で励まされ、厳しい修業の辛(つら)さから逃げずに、人生を前向きに生きることのできた友人の話を紹介します。
 彼は勉強が大嫌いで成績も悪く、小中学校でおちこぼれていました。高校進学を希望したのですが、入れる高校がありませんでした。そこで彼は「俺は勉強ができないが、俺のやれることは何かなあ」と考え、中学を卒業後、十六才で、大阪へ寿司屋の修業に行きました。
 寿司屋は、今でも厳しい徒弟制度があります。彼が行った寿司屋の大将も厳しい人でした。寿司屋の修業は手取り足取り、「飯の炊き方、酢の加減はこうだよ、寿司の握り方はこう、こうすれば美味しい寿司ができるよ」という教え方ではありません。最初の三年間は、包丁を持たせてくれません。ただひたすら汚れた食器の洗い方や店の掃除、衣服の洗濯、物の運搬等、下積みの毎日です。しかも上下関係が厳しいところで、怖い顔をした大将はじめ、意地の悪い兄弟子達から代わり番こにこづかれます。
 朝は一番早く出勤をして開店の準備、そして夜は片付けや掃除をして店を出れるのは夜遅くなります。最初、彼は正直やめたいと思いました。町を眺(なが)めると、自分と同じ年頃の高校生が楽しそうに学校に通っています。ある日、とうとう彼は我慢できなくなり、追い出されることを覚悟で大将に言いました。
 「僕は皿洗いや掃除の修業をするために来たのではありません。うまい寿司を握るために来たのです。寿司の握り方を教えて下さい」と。
 しかし、大将は彼を叱りませんでした。
 「確かに寿司を握るだけなら三月(みつき)もあれば誰でも覚えられるが、要は心がこもるかどうかだ。寿司が握れても心がこもってなければ客は来ない。寿司は心で握るのだ。その深いところが分からないと一人前の寿司職人にはなれない。今は寿司を握ることよりも、まず周(まわ)りのことを覚えることが先だ。それが分からんうちは先へ行かすわけにはいかない」といって静かに彼を諭(さと)されたそうです。
 その大将の言葉に彼は深く頷(うなず)き、それからもその言葉を信じ真面目に修業を続けました。しばらくすると接客係を言いつけられました。客が来ると、お茶やおしぼりを出す仕事です。それが慣れてくると今度はイカの皮むきでした。来る日も来る日もイカの皮むきです。イカの皮が山のように出ます。そのあとは飯炊(めした)きです。特に酢の混ぜ具合が微妙で難しいのです。そうして入門してから三年後、やっと包丁を持たせてもらうことができました。包丁といっても最初は大根のかつらむきです。それからも無我夢中で修業して、気がつくと彼は二十一才になっていました。
 ある日のこと、彼は大将から店に出て客に寿司を握るよう命じられました。彼にとって初めてです。しかも大阪は食い道楽で、みんな舌が肥えています。彼は大変緊張しました。一生懸命に握って客に差し出しました。するとその客は「君の握る寿司はとてもうまい。おかげで一日の疲れがとれるよ」と、にっこり笑顔でほめてもらったそうです。
 彼は今まで、叱られたり咎(とが)められることはあっても、人にほめられたことなど一度もありませんでした。彼には、その客の顔が仏様に見えたそうです。その時、彼は「俺は勉強ができなかったけれども、この道を選んで本当に良かった。六年間の下積みは辛く、途中で何度もやめたいと思ったけど、あのお客さんの一言に救われた」と言っていました。その後、彼は大将に認められて暖簾(のれん)分けをしてもらい自分の店を持つことができました。彼は四十二才、今も大阪で元気に寿司職人として幸せに生きています。
 大阪へ出た当初は、修業の辛さに幾度もくじけそうになった彼でしたが、厳しさの中にも常に弟子を思いやる大将や客の、温もりのある言葉に勇気づけられたのです。「愛語」に生かされた人生がここにもありました。

五葉光鐵

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