呼吸によって自らを調える ー生き方は息の仕方からー(2011/10)
こんな見出しの新聞記事がありました。
自分を見つめ直したい
ーそのきっかけを、
坐禅に求める人たちがいるー
JR京都駅のすぐ北側に立つキャンパスプラザ京都。照明を落としたホールで、学生が椅子に坐り坐禅をしています。京都の大学・短大の連携組織が開いている「坐禅入門講座」には、四十人の定員にいつも倍以上の受講希望者があるそうです。
これにヒントを得て、数年前に開院した新倉敷駅前の「倉敷・光クリニック」で毎月一度の坐禅会を行っています。院長の柴田高志先生は、代替医療を中心にした診療所を開設されました。そこの二階板間に畳を敷き、仏像を安置して坐禅が出来るようにしてくださったのです。
参加者と診療所のスタッフに私たち僧侶が、自らの呼吸に意識を集中して、ひと時を一緒に坐ります。坐禅の後、呼吸についての話をしたところ、参加者の若い女性が、家事の合間などに、肩の力を抜いてゆっくりと息をはく呼吸をしてみたそうです。当然、思うようにはいかなかったのですが、そこに新たな世界を見つけた楽しみを感じているようでした。
仏教詩人、坂村真民さんの詩に『息の仕方』があります。
生き方とは
息の仕方とも言える
どんな息をするか
それによって
幸も不幸も生まれてくる
病気もおきてくる
人間の一生もきまる
(後略)
生き方が様々あるように、息の仕方もいろいろあります。天台大師の『小止観(しょうしかん)』には「風(ふう)・喘(ぜん)・気(き)・息(そく)」と四つの呼吸が説かれています。
はじめの三つは、喘(あえ)いだり、長短、緩急極端にかたより乱れた呼吸です。四つ目の息(そく)は、出入の境がないほど静かな、綿々として尽きることのない調(ととの)えられた呼吸です。
緊張や不安という心の状態が呼吸にあらわれるように、心と呼吸は深く関係しています。呼吸を調えることによって心が調い、安らかな心境を得ることが出来ます。
七十九才で亡くなられたMさんは、胃の不調を感じて診察を受けたところ、その日のうちに入院を指示され、まもなく胃をすべて摘出されました。それからの一年間、ご主人は奥さんの病床に付き添われ、時々自宅に帰った時も、風呂は浴槽に入らずシャワーを浴びるだけにして、家では横になることもされませんでした。
しかしMさんにとっては突然の出来事であり、しかも体力は日に日に衰え、症状も良くなる気配は感じられず、病気の本当のことを伝えようとしない病院や、周囲の人々に対して不信感が生じ、とりわけご主人にはつらく当たられていたようです。
入院されてちょうど一年後にこの世を去られました。その後、Mさん愛用の懐紙入れから、病院とご主人への言葉が書かれた懐紙が見つかりました。
大変お世話になりました
勝手なことばかり申し上げまして
恐縮に存じております
でも心がとても安まりました
意識がなくなるときまで、「家に帰りたい」と言われ続けていたMさん、いつこのようなことを書かれたのかはわかりません。焦燥感のため思い切り悪態をついても、淡々と受け止められるご主人によって、心が次第に落ち着き調えられ、つらい現実もあるがままに受け入れ、周囲の人たちの懐かしい気持ちを正しく受け止めることが出来たのでしょう。
何事においても、正しく見て、そのままに受け止めることは容易ではありませんが、よく調えられたおのれにあってこそ、可能なのではないでしょうか、忙しい毎日ではありますが、時間を工夫して、呼吸を調えることをはじめてみませんか。
村上明道