法話の窓

心のブレーキ(2012/02)

 私が住んでいる近くの道路に、交通安全を呼びかけるこんな看板があります。
 「運転は、出せるスピード、出さない勇気」
 車を運転していると、ついつい誘惑に負けてしまい、スピードを出してしまうという方も多いと思います。頭の中では、危険だとか安全運転しなければと、分かってはいるのですが......。
 そのような自己中心的な運転は、他の車や歩行者に迷惑をかけるだけでなく、交通事故を引き起こす原因となることも、決して少なくありません。
 どんな状況でもしっかりと自分の心にブレーキをかけて、周囲に対する思いやりや、優しさを持つといった、安全運転に心がけることの大切さを、この看板は教えてくれています。
 この「自分の心にブレーキをかける」ということは、車の運転に限らず日常生活においても大切なことです。私たちは、ともすれば自分の思いのままに生きたい、好きなように行動したいと考えがちです。
 しかし、そんな心をそっと抑えて周囲に目を向けてみると、自分が今まで気付かなかったものに出会えるかもしれません。
 私も先日、車を運転していた時に、幸運にも優しい心に出会うことができました。
 その日はあいにくの雨模様、そして夕方という時間帯でもあり、道路は大変混雑していました。私は車がなかなかスムーズに進まないことに、とてもいらだっていました。そんな時、私の走っていた車線の反対側のスーパーの駐車場から、一台の車が私の入る車線に入ろうと、ウインカーを出しているのに気付きました。
 しかし、なかなか道を譲ってもらえず入れません。私もいらいらしていたこともあり、恥ずかしながら車を止めて道を譲ろうという気はまったくありませんでした。
 その時、対向車線を走っていた一台の車がすっと止まり、その車に道を譲ったのです。その車はちょうど私の前方の車だったので、私も止まれば、待っていた車は車線に入れます。私は一瞬「このまま進もうか。後ろの車が止まるだろう」とも思ったのですが、その待っていた車に渋々進路を譲りました。にもかかわらず、その車を運転していた人は、不機嫌そうな顔で私の前へと入ってきました。
 クラクションを鳴らすことも、頭を下げることもなく。そんな態度に私のいらだちはピークに達しました。
 「せっかく入れてやったのに挨拶もなしか」
 などと車内でぶつぶつ一人文句を言いながら、ふと窓の外に目をやると、先に止まった車の運転手さんが優しい笑顔で私にむかって頭を下げておられたのです。「プッ」というクラクションの音とともに。それを見た私は、嬉しいやら気恥ずかしいやら......。
 その運転手さんの思いやり、優しい心に触れた喜びと、世間体だけ考えて嫌々車を止め、苛立ちだけを募らせてっしまっていた自分の心の狭さ、思いやりのなさを痛感したのです。
 私も同じように挨拶を返して、車はすれちがって行ったのですが、その後はそれまでの苛立ちがだんだん消えていき、なんだかいい気分で運転することができました。もしこの時私が車を止めて道を譲っていなかったら、このような優しい心には触れることができなかったでしょう。動機は不純ではありましたが自分の心を抑えて車を止めたおかげで、忘れかけていた大切な心に気付かせて頂けたのです。それはとても有難いことでした。
 お釈迦様は、私たち一人ひとりが他者を思いやることのできる優しい心を持っていると教えて下さっています。どんなときでも その心を忘れずに、自己中心的な気持ちをそっと抑えることができたなら、私たちの生活は、今よりもっと優しい笑顔や言葉に満たされた温かなものになるのではないでしょうか。
 さあ始めてみませんか、まずは家庭からそして社会へと。

今野慈耕

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