法話の窓

三脚梯子(2013/10)

   三願
  鳥のように
  一途に
  飛んでゆこう
  水のように
  素直に
  流れてゆこう
  雲のように
  身軽に
  生きてゆこう


 上掲の詩は、坂村真民さんの詩でございます。
 沢山の詩を読ませて頂き、私は多くのことを学ばせて貰いました。
 短い詩ではございますが、とてもすきな詩でございます。


 梯子(はしご)にはいろいろの種類がございます。
 梯子車、梯子段、縄梯子等々であります。普通私達は二本の長い材に横木を何本も渡して足がかりとする梯子を、梯子と言っているのでありますが、最近は脚立にも、梯子にもなるという変りものもあります。
 三脚梯子を手にいれました。これは剪定用の梯子であります。随分前のことでありますが、見よう見まねで造ったことがあります。
 寺の裏山で細い丸太を切り出し、その丸太と竹とを材料として造りました。不器用な私ですのでうまく出来ませんでしたが、随分長い間私の手元で働いてくれました。
 「和尚さん、それ誰が造ったや」「わしが造ったんや」「あんまり上手に出来ておらんな......」そう言われるほどの代物でした。
 それもいまは私の前から姿を消してしまいました。壊れてしまったのです。三脚梯子は私にとっては必要な物なのでございました。いかに便利な物であるかよく知っていましたので、どうしても手に入れたい、欲しくてたまりませんでした。
 ところが、あるお店の前を通りかっかた時、大小さまざまの三脚梯子が並んでいるのに目がとまったのです。もうさっそく私は愛用の軽トラックで一時間程かけて買いにいったのでございます。私は店の軒先で剪定場面をイメージし考え、七段と九段の三脚梯子を買ってまいりました。
 帰りの車の中は、鼻歌の出る程気分は良好。時にはご詠歌を口ずさむ程......。
 ところが、寺に到着するや「和尚さん、二脚も買ったの」と少々不満顔をした私の奥様、「欲しいから買ったんやない、必要だから買ったんや」少しばかり説教じみた言葉を残し、軽トラックから三脚を降ろしにかかると「和尚さん、そんなに軽いの......」とびっくりした様子でございました。
 三脚は素材がアルミです。ですから力のない私でも持ち運びするのには丁度都合のよいものでありますし、背のあまり高くない私には九段梯子は高い木の枝の剪定も出来るので、またまたうれしくて休むこともなく早速仕事にかかったのでございます。
 三脚梯子は教えてくれました。


 この梯子は何故たおれないのか?
 答えは極めて簡単でございます。
 それは脚が三本あるから。


 二本の脚は固定されていますが、他の一本は支柱としての役目をしているのです。更に、その一本の脚は傾斜地でも安全であるように伸び縮みの出来るようになっているのでございます。
脚元は開いているのですが、梯子の上は頭をよせ合っているような格好をしていて、実に調和がとれていますので、見ていて楽しさを感じるものでございます。仕事も一段落し休憩しながら暫く見とれておりました。


 大石順教尼は小鳥を「我が師にてありけり」と、吉川英治さんは、「我れ以外皆吾が師なり」とおっしゃったと言います。坂村真民さんは「鳥のように、水のように、雲のように」と三願をうたわれました。
 たかが梯子といわれるかもしれませんが、三脚梯子は教えてくれました。
私達の三本の脚を信じなさい。支え合っていますから、安心して私の上で仕事して下さ
い。あなたの安全を祈っていますよ......。

   〜月刊誌「花園」より

 

羽賀文圭

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