法話の窓

清らかな心のままに

 

 myoshin1610b.jpg秋の深まりを感じる季節になりました。澄んだ青空は心地良いものです。
 私事ですが、今年の夏、4月に発生した熊本地震で被害の大きかった益城町へ地元の青壮年メンバーと一緒に炊き出しボランティアに行きました。メンバーの一人から「妙心寺派の檀家として被災地へ炊き出しに行くのだから、片付けや修繕の手伝いも兼ねて投宿させてもらえる御寺院様はないでしょうか」と相談を受けたのがきっかけでした。現地に詳しい和尚様にも相談しながら調整した結果、熊本市内の被災された御寺院様が投宿を受けて下さいました。投宿させていただいた御寺院様は庫裏や墓地を中心に被害を受けられ、当分の間、片付けや修理に追われていたそうです。一段落されていたものの大変な状況の中、ボランティア一行を受け入れて下さったことに感謝せざるを得ませんでした。本堂で就寝、早朝三時に起床し荘厳な雰囲気の中での読経を勤める体験はメンバーの多くが初めてであり、感激で身心が引き締まり、炊き出しに向かう気持ちはより一層高まった気がしました。
 炊き出しメニューは、朝食に出雲の宍道湖特産のシジミ汁、昼食は焼きそばと餃子など。大量に調理して振舞うため、巨大な鉄鍋や釜戸、鉄板など数多くの道具や物資を中型バスとクレーンの付いたユニックトラック2台に積み込んでの大移動。避難所には、未だ250名ほどの方々が避難されていましたが、早朝からの物々しい訪問に驚かれたようでした。
 私は、果たして短時間に準備、調理をして振舞えるのだろうかと心配したのですが、中越、東日本大震災で炊き出しを含めたボランティアを体験されていたメンバーの手際の良さは圧倒されるほど見事で、瞬く間に準備を整え、調理、配膳が完了しました。朝食と昼食の炊き出しが終わると、今度は片付け、清掃を徹底し、素早く撤収する潔い姿は、禅僧のあるべき姿に通じるものがありました。
 妙心寺開山、関山慧玄禅師の生きざまは「没蹤跡(もっしょうせき)」と讃えられています。今、自分がやるべきことを淡々と行じてゆく。地位や名声、功績にこだわらない、執着しない生きざまを示した言葉です。
 今回のボランティア活動を通じて、困った人がいればこだわりなく手を差し伸べ、自他の区別はなくおかげさま、お互い様の心で一つに重なり合ってゆく。欠けることのない円満な心の働きの尊さを改めて学んだ気がしました。同時に、たとえ現地へ行けなくても他人事ではなく、自らの命に感謝し、その清らかな心のままに相手を思いやるならば、雲一つない秋空のようにいつしか社会を調え、被災地を支える広がりになってゆくことでしょう。

森山隆司

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