花が繋ぐ
花が咲き誇る季節となり、私たちの目を楽しませてくれています。アメリカの首都・ワシントンD.C.のポトマック河沿いでも、この時期桜が満開となり、在留邦人だけでなく、多くの人々の目を楽しませているそうです。それらは、来日したことのあるアメリカ人の学者や作家が当時のタフト大統領婦人に桜の美しさを伝えたところ大変興味を示され、日米友好を願い贈られました。
しかし、その場所に運ばれるまでには、多数の困難がありました。約2千本あまりの桜の苗木が運ばれましたが、運搬途中で害虫被害に遭い、全部を焼却せざるをえなくなりました。
その失敗を受けて、病気や害虫が発生しない畑を探し、そこで1年育てた元気な苗木を送ることにしました。さらに、荷造り前にはガス薫蒸し、6040本の桜の苗木が横浜港から運ばれました。
ワシントンD.C.に運ばれた時、病気にかかっている苗木は1本もありませんでした。そして、三千本はワシントンD.C.に、残りはニューヨークのハドソン河開発300年の記念式に贈られました。
このお返しにアメリカから日本に贈られたのがハナミズキです。ハナミズキはアメリカで最も愛されている花です。アメリカでのハナミズキの花言葉に「永続・耐久性」などの意味があり、イエス・キリストが磔の刑に処せられた際の十字架に使用されたのがハナミズキであったことから、二度とその悲劇を繰り返さないようにと、日米友好の永続の願いも込められていました。しかし、両国間は太平洋戦争で戦火を交えることになり、日本では街路樹として植えられたハナミズキが、戦時中に反米の象徴として伐採されたこともあったそうです。
しかしながら、今日ではハナミズキ通りがあるように、日本の街路樹としてハナミズキをあちらこちらで見かけることができるようになりました。ハナミズキには、「rebirth(再生・復活)」という意味もあり、戦後の日本復興の願いなども込められていたのではないでしょうか。
桜がアメリカに贈られたのが1912年、ハナミズキが日本に贈られて昨年がちょうど百年の節目の年でした。そして、アメリカから贈られたハナミズキの原木1本が、百年経った今でも東京都立園芸高校に生き続けています。現在、日米両国の間に戦火を交えていないのは、先人たちが花に託した友好の願いが実を結んでいるからでしょう。
世界を見渡すと、力には力で、報復には報復でという、憎悪の連鎖が続いています。
お釈迦様は花を拈じ、摩訶迦葉尊者がそれに対して微笑みで返して仏教の真髄が伝わり、二千五百年経た今まで脈々と伝わりました。唐の国の霊雲志勤禅師は、桃の花を見てお悟りを得ました。
ある殺人を犯した加害者は、その現場に多くの献花があるのを見て、自責の念に駆られたそうです。花は何も言いませんが黙って咲き、花の前では怒りの感情なども芽生えないはずです。
花を見て楽しむだけでなく、その花が植えられた経緯に思いをはせ、私たち自身もまた種を撒く(木を植える)人でありたいものです。
塚原史方