餓鬼仏さまと食平等
皆さまは"餓鬼仏(がきぼとけ)さま"って聞いたことがありますか?
「"餓鬼"は聞いたことがあるし、"仏さま"も知っています。でも二つを合わせた"餓鬼仏さま"ということばは初めて聞きます」。
こんなお答えが返ってきそうですね。子供の頃、悪いことをした時などに「このガキ!」などと近所のおじさんに怒鳴られた経験のある方もいらっしゃるでしょう。子供心にも"餓鬼"はあまり良い響きのことばではなかったのではないでしょうか。
餓鬼は、インドのことばで「プレータ」(preta)といって、もともとは「先に逝った人」とか「死者」を意味することばでした。それが、だんだん「貪る心をもった死者の霊」の意味をもつようになりました。そして、その果てに、死者だけでなく、比喩的に「貪りの心をもつ人」にも使われるようになったのです。
「餓鬼道」ということばも聞いたことがあると思いますが、これは「生前中に貪りの心をもった人が死後赴くところ」です。実際にあるかないかはともかく、死者が行く六つの世界の下から2番目にあるとされています。
これからお盆を迎えますが、お盆には、よくお施餓鬼(せがき)の法要が併せて行なわれます。もともとお盆とお施餓鬼は全く異なるルーツをもちますが、「餓鬼に供養する」ということで一緒に行なうことが多いのです。お寺には大きな施餓鬼棚(せがきだな)が設けられ、その上に「三界万霊(さんがいばんれい)」と書かれた位牌や五色の施餓鬼旗(せがきばた)が置かれ、餓鬼飯(がきめし)と呼ばれるお膳と水、山海の珍味や新鮮な野菜や果物などが供えられます。ご家庭でも仏壇の前に新ゴザを敷いた机を置いて、お寺と同じように飾ります。私の住む地方では、多くのご家庭で、その机の下に別にお盆が置かれ、そこにもお膳が供えられます。これは餓鬼仏さま用です。
"餓鬼仏さま"とは、"餓鬼"と"仏さま"との熟語ではなく、"餓鬼"を仏として崇めて、"さま"を付けたことばと考えられます。無縁仏もそうですが、日本では亡くなった人を"ほとけ"と呼ぶ習慣があります。供養をいつも受けているご先祖さま方と違って、供養を受けることのない無縁仏の霊は、お腹が空いて仕方ありません。せっかくご先祖さま方に供養をしても、お腹を空かせた霊が指をくわえて周りで見ていたら、ご先祖さまも落ち着いて召し上がることはできません。私たちだって、もしそういう状況に置かれたら、せっかくのご馳走も味わうことができませんよね。それで、ご先祖さま方に差し上げるように、餓鬼仏さまたちにも供養をして差し上げるのです。
子供の頃から、寺では「食平等(じきびょうどう)」ということをよく聞かされました。「自分だけが美味しいものを食べられればよい」、「自分だけがよい思いをしたい」というのは餓鬼のはじまりです。「美味しいものはみんなで仲良く平等に」という食平等の優しさを教えてくれるのも、餓鬼仏さまを供養するお施餓鬼の大事な意味だと思います。ぜひ皆さまも、お盆には餓鬼仏さまへのお膳もご用意下さい。
竹中智泰