お正月
賀 松は千年の翠
竹は上下の節
春 梅は清い香り
桜満開の春。はたまた紅葉が美しい秋。京都の街の色彩は変化に富んでなおかつ美しい。その中で、大本山妙心寺の境内は異彩を放っているといってもいいでしょう。すなわち緑、翠、ミドリ。そう感心するほどに松の"みどり"しかありません。その四季変わらぬ凛とした美しさに、いつも惚れ惚れとしています。
さて宗祖臨済禅師に、次のような逸話が『臨済録』に見られます。
禅師が修行の地である黄檗山に松を栽えていますと、師匠の黄檗禅師が「こんな山奥にそんな松を栽えてどうするつもりか」と問いました。すると禅師は「一つにはお寺の境内に風致を添えたいと思い、もう一つには後世の人ために修行の標榜にしたいのです」と。
黄檗山に、そして妙心寺に天高くそびえる松は、「禅の教えがここにあるぞ!」という清々しいまでの宣誓と、やさしい導きを感じます。時代や場所を超えて、常に"みどり"を保っている松の放つ輝きは、言うなれば「禅」の輝きともいえるでしょう。
そしてもう一点。臨済禅師の松を栽えた行ないに、自分の為という思いは微塵もないということ。禅者は常に他の為に行ずるということを忘れてはなりません。
では表題の言葉を、それぞれ禅語に置き換えて述べてみましょう。
まずは「松樹千年翠」。正月の床の間を飾ることの多い禅語です。いつまでも変わらぬ松の"みどり"に託して、長寿や多幸を自らのみではなく他の為にも祈りましょう。
次に「竹有上下節」。竹には節があります。あの節があるゆえに竹はしなやかで折れない強さを持っているのです。節とはまさしく仏の教えです。しなやかで折れない自分づくりには欠かせない仏の教え。生活に節操を持たせる一年に致しましょう。
最後に「一点梅花蘂 三千世界香」。私たちにはもともと清き香り(仏心)が具わっています。しかし磨きださなければ清き香りも埋もれたまま。香ってはきません。日々の暮らしを調えて香らせましょう。
松、竹、梅、三点セットで良き年に。
新山玄宗