法話の窓

小さなものに目を向ける(2017/11)

 私事ではありますが、先の10月29日は12年前に私が晋山式をさせていただいた日であります。今振り返ってみると、この12年間は本当に多くの事があり、目まぐるしくも我ながらよくやってこられたものだなぁと思います。
 奇しくもその先月には私が大変お世話になった平林寺専門道場の野々村玄龍老大師の7回忌法要がございました。僧堂を出て何年経っても僧堂へ足を運べば色々なことを思い出しますし、老師の言葉も頭の中で蘇ってまいります。
 当時、作務中に老師から「あんたは学校でどんなことを勉強しとったんだ?」と尋ねられたことがあって、私が「ミジンコの研究をしておりました」と答えると「おぉ、ミジンコか。そうかそうか、それは面白そうだなぁ」と興味深そうに聞いてくださいました。それを覚えてくださっていて、私の晋山式の時にご垂訓の中で「...この新命和尚は学生時代ミジンコの研究をやっていたと聞いたことがあって、私はそれを聴いてとても嬉しかった。私たちが普段気付かない、無視しているような小さな生命体に光を当てていく。とても禅僧らしい」。そういう言葉を思い出しました。小さなものに目を向ける、とはどういうことでしょうか。

 「一葉落ちて知る天下の秋」という禅語があります。赤々と紅葉した山々を見れば、あぁ秋だなぁと誰もが感じることでしょう。でも1枚の葉っぱがひらりと落ちてきただけでは、気にも留めずに通り過ぎていってしまう。でも本当は、その葉からその向こうにある天下に広がる秋を感じ取ることができるし、そこに目を向けていくことが小さなものに目を向けることなのかと思います。しかし今の自分にそれができているのか。

 カレンダーを見て、あぁ12年経ったなぁ、いろいろ大変だったなぁと思い返すのは簡単です。ですが本当は流れていく毎日の中で、自分を支えてくれた何気ないひとつひとつの事、それは綺麗に洗って畳まれた洗濯物や、日に3度食卓に並ぶ料理、食器棚に並べられたお皿、温かいお風呂、あるいは境内のお地蔵さんや墓石にいつでもお供えされている花々。そんな何気ない風景に目を向けて、そこの向こう側にある12年という月日の有難さに気付いていかなければならなかったのだと、反省をしております。

 「小さい秋みつけた」というサトウハチローさん作詞の童謡があります。

  誰かさんがみつけた 小さい秋見つけた 目かくしおにさん手のなる方へ
  澄ましたお耳に かすかにしみた 呼んでる口笛 もずの声

 耳にかすかに聞こえてきた小さい秋の声を聴いて、外に広がる大きな秋を感じる。私たちは普段気にも留めない小さなものからでも、その後ろに広がる大きなものに気付いていくことができるのです。
 小さな秋の声を感じるように毎日の風景の中の小さなものに目を向けてそのうしろにある大きな「おかげさま」を見つけていきましょう。

竹中智厚

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