法話の窓

―年年歳歳 花相い似たり 歳歳年年人同じからず(『唐詩選』)―

 

 副題にあるこの言葉は、中国・初唐の詩人、劉希夷(りゅうきい)の「代悲白頭翁(白頭を悲しむ翁に代わる)」という詩の一節で、「年ごとに花は同じく、年ごとに見る人は変わってゆく」という意味です。年々新たに繰り返す自然と、年ごとに衰えていく人間を対比させ、年を経る感傷を詠っています。

myoshin1704a.jpg 私のお寺に樹齢200年は経つだろうと思われる大きな楠の木があります。亡くなった祖父や父もこの木に登ったことでしょうし、私自身も幼い時には友達と一緒に遊んでおりました。関東大震災、太平洋戦争の時もこの木は今と同じようにそびえ立ち、祖父や父の葬儀の日にはまるで人生の旅立ちを見守っているかのように感じられたものです。
 楠の木は、一年一年葉を落としては、また同じように葉をつけます。それを200年このかた、ずっと行なっているのです。毎年、新たに芽吹く若葉が変わりゆく時節の中で、その役目をまっとうしてくれたからこそ、楠の木は今もしっかりと根を下ろし、堂々と立っていられるのです。その意味で、私たちも楠の木の姿と同じく、人生の与えられた区間を一所懸命走り抜き、私の人生を生ききってリレーのバトンのように次の世代に渡していきたいものです。

 皆さまの日常のお仕事の中に、それぞれ学びがあると思います。入社して間もないときは、道具の名前も機械の名前も知らないが、それをひとつひとつ覚え、全く未知の世界を長い時間かけて一人前になったとします。一人前になったら、今度は次に続く後輩に仕事を教えなければなりません。私も多くの先輩から多くのことを教えていただきました。後輩に教える立場に立った時、例えば5つのことを教えようとすると5つを知っているだけでは、後輩には何も伝わりません。ですから人に教えようとすると自分もまた勉強することになり、学びはずっと続くのです。
 4月になりますと、新入社員が入社してきます。今まで学び受け継いだことを後輩に継承していくことが、多くのことを教えてくれた先輩への恩返しであり使命ではないでしょうか。これまでに数え切れないほどの「年年歳歳」があったからこそ、私たちは今、ここにいるのです。

松原信樹

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