法話の窓

二人のご縁(2018/2)

 昨年、JR京都駅から山陰本線の列車に乗った時のことです。向かい合わせの4人掛けの座席には、私の他に齢80代後半と思しきおじいさんと、就学前の男の子を連れた母親とが座っていました。
 京都駅を出発し、鉄道博物館で知られる梅小路公園の横を通りかかると、男の子が窓の外を指さして「D51だ、DE10形ディーゼル機関車だ」と言いました。するとおじいさんは「坊やは機関車の名前をよく知っているね」と話し、カバンの中から1冊の分厚いファイルを取り出して男の子に見せました。横から眺めると、それは蒸気機関車が日本全国を走っていた頃の古い鉄道の写真をスクラップブックに貼り付けて、撮影場所や機関車の型式等を書き入れた、おじいさん自作の鉄道写真集でした。男の子は目を輝かせながらページを繰り、写真一つ一つに感想を述べていました。最後まで見終わりファイルをおじいさんに返すと、今度は自分のリュックサックから何やら取り出しました。それは画用紙に色を塗って切り貼りして作った新幹線でした。裏には覚えたての文字で名前や型式が書かれていました。おじいさんはそれを手に取り「よくできているね」と感心し、さらに話は尽きません。年齢差が80歳はあろうかという二人のやり取りを私は最後まで見たいと思いましたが、下車する駅に到着してしまいました。おそらくその後も会話は弾み、男の子にとってもおじいさんにとっても忘れがたい時間になっただろうと思います。

 私は二人を見ていると不思議な気持ちになりました。おじいさんは昭和初期の生まれと思われます。当時はまだ、江戸時代生まれの幕末の記憶が鮮明な方がご健在で、彼らから鉄道の無い時代の暮らしぶりを聞いただろうと思います。一方、平成20年代に生まれた男の子にとって、自分が老人になる頃に直接話をする子供たちは22世紀の後半まで生きます。彼らはリニアモーターカーよりも世代の進んだ鉄道に乗っていることでしょう。私の目の前で、二人を通じて300年の時間が繋がっている、そういう不思議な気持ちになりました。
 
 一人の人間の生涯は80年ほどですが、ご縁を通してそれ以上の繋がりが一生の中に詰め込まれています。現在を生きる私たちが"22世紀を生きる人たちが幸せに暮らしてほしい"と思うように、"21世紀を生きる人たちが幸せに暮らしてほしい"と思っていた19世紀の人の未来を私たちは生きています。

 男の子がおじいさんになった時に、「そういえば、小さい頃に電車で偶然出会ったおじいさんが蒸気機関車の写真を見せてくれたことがあったなあ」と懐かしく思い出して、子どもたちに話を聞かせることがあるかもしれません。人のご縁は面白いものだと思います。

西田弘範

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