036 親孝行
中国、三国時代(さんごくじだい)に孟宗(もうそう)という人がいました。幼い頃に父親を亡くし、母親と暮らしていました。母は孟宗に厚い敷布団と大きな掛け布団を作って、学問所へ送り出してやりました。あるものが理由を尋ねると、「息子には人様を惹きつけるような徳はありませんが、これを持っていけば、同じ床で寝たりして、志を同じくする人と仲良く出来るのではと思いましたので」ということだったそうです。孟宗はその母の想いにこたえ、学問に励みます。
やがて役職につき、母親とともに軍中で生活しましたが、低い役目にあり、その上雨漏りまでしたことから孟宗は泣いて母に謝りました。母は「ひたすら仕事に励むのが大切なのであって、こんなことで泣く必要がありましょうか」と励ましたといいます。
やがて才能を認められ、養魚池の監督を任されます。自ら網をあんで魚をとり、ふな寿司を作って母へ贈ったことがありました。母は「お前は魚を管理する役目にあるのに、他人さまの疑いや反感をかうようなやり方だ」と、それをそのまま送り返しました。
孟宗の母親は病気がちでした。そしてもはや先が見えているといった状態になったことがありました。その時は丁度真冬。母親は筍(たけのこ)のなますが食べたくてたまりませんでした。筍は春先に生えるもので、真冬では探しても見つかるわけありません。それでも孟宗は雪まじりの風の吹くおぼろ月夜に、一人で竹林の中に筍を探しに入って行きました。いまどき筍などあろう筈がないことはわかり切っています。でも母親に筍を食べさせてあげたい。どうすることもできない孟宗は竹林の竹に抱きつき、大声で「筍がほしい」といって泣きだしました。すると突然、孟宗の目の前で地面がぱっくりと割れそこに真新しい筍がいくつも生えてきたのです。母親はこの筍を煮てつくったなますを食べ病気も奇跡的に快方に向かったといいます。
のち、地方の役人となりますが、当時は任地へ家族を連れて行くことは出来なかったので、旬のものが手に入るごとにまず母へ贈り、自分が先に食べることは決してなかったそうです。
親が喜ぶことをすること、確かに親孝行です。ですが、孟宗の話から、ある行いが結果として親を喜ばしているのではないかと思いませんか。そのこと、やはり孟宗から気づかせられます。親の自分に対する思い、愛情にお返しすることではないでしょうか。その行いが親に届いた時、始めて親孝行になるのです。
和田牧生