040 何にもかえがたい「たから」
3年ほど前に、いっぴきのウサギが我が家にやってきました。おとなりのおばあさんが亡くなって、飼(か)う人がいないので、私の家で飼うことにしたのです。
「もも」という名前をつけ、外においてある巣箱(すばこ)の中で飼うことにしました。私になれていないせいか、はじめのうちは警戒(けいかい)して、近くによってもきません。
それが1ケ月、2ケ月もすると、「もも」と呼ぶだけで私のほうへよってきて、餌(えさ)をねだるようになりました。1年もすると、足音を聞いただけで、誰(だれ)だか分かるようになりました。
その「もも」が、今年の4月20日に死にました。死ぬ2日ほど前、私の夢の中に「もも」が笑顔であらわれ、語りかけてきました。どんな話をしたか覚(おぼ)えていませんが、きっと私とのお別れを言いにきたのだと思います。
死んだときお墓を作ってあげ、家族みんなでお経を読み、そのお墓のまわりを花で飾(かざ)ってあげました。
なぜか、涙が出てきました。
相手を「たからもの」のように思ってやさしくしてあげると、ウサギさんでも仲良くなれることを知りました。
長野県のある小学校2年生のあいちゃんが、こんな詩を書きました。
「なくなったおかあさん」
おかあさんは、
一番のたからものだよ。
まいにちチュッてしてくれたよ。
ないたときには、
いつもだきしめてくれた。
一番いい人だったよ。
あいしてくれた、
人だったよ。
(『しなの子ども詩集1・2年 47集』)
あいちゃんのお母さんは、もう亡くなってしまいました。あいちゃんは「たからもの」のお母さんを、決して忘れないでしょう。お母さんもきっとあいちゃんのことを「たからもの」だと思っていたから、あいちゃんに、とてもやさしくしてあげたのです。
お母さんを「たからもの」と思っているあいちゃんは、お母さんがあいちゃんにしたように、みんなを大切にできる人になっていけると思います。
相手を「たからもの」に思うと、そこにやさしさが満ちあふれてきて、みんなを大切にできるようになります。そこにきらきらと輝いた、幸せの花が咲き出すことでしょう。
そして、みんなを大切にできている自分が、何にもかえがたい「たから」なのです。
杉田寛仁