052 新しい春を迎える君たちへ
勝ってうれしい花いちもんめ 負けてくやしい花いちもんめ
あの子が欲しい あの子じゃわからん
相談しましょ そうしましょ
きーまった ○○ちゃんが欲しい ××ちゃんが欲しい ジャンケンポン!
全国にはいろいろな歌詞が伝わっているようだけど、和尚さんは子供のころ「花いちもんめ」って、大きな声を出しながら、よく遊んだ覚えがあるんだ。今の子供たちは、「花いちもんめ」なんて遊びするのかな?
和尚さんは、実を言うとこの遊び好きになれなかった。だって、みんなで相談して一番初めや二番目に欲しいって声かけられたらうれしいけど、だいたい最後から一番や二番目に名前を呼ばれることが多かったからね。名前をいつ呼んでくれるか不安で、不安で、心細くって、友達に「助けて~」って目でシグナルを送るけど気付いてくれず、最後は泣きたい気持ちで一杯になっていたな。
君たちはどう?和尚さんのような思いしたことないかい?したことがなかったらそれに越したことはない。反対に、したことあっても恥ずかしいことは全然ないからね。不安なこころ、心細い思い、泣きたい気持ちなんて、誰でも持っているものなのだから。
そこで、一つお願いがあるのだけど、人間なら誰でも持っている心の弱さに踏み込んで、友達や、クラスの仲間を無視したり、いじめたりするのはやめようよ。和尚さんは、そんないじめをする人は格好悪いと思っている。だって、いじめをしながら、自分の心のどこかに"自分って嫌なやつだな"って思っているもう一人の自分が必ずいるはずだもの。そんな自分に目をつむって、いじめをしたらやっぱり格好悪いと思うよな。
みんな、突然部屋の明かりが消えて真っ暗になったらどうするかな?たぶん「ロウソク持ってきて、懐中電灯取って」って言うと思うな。
ね、暗いところでは小さな明かりでも頼りになるよね。それと同じで、悩んだり、迷ったり、もし、悪いことをしていたら、《自分の中のもう一人の自分》という明かりをしっかりと見つめようよ。すると、必ず、自分の進むべき道が見えてくるはず。あとは、素直にまっすぐに歩いていくだけでいいからね。
ある幼稚園の運動会で見かけたことを話そうか。
3歳児から6歳児までの子供たちが、音楽にあわせて元気一杯にダンスをしていたんだ。園庭に3つの大きい輪が出来て、みんな楽しそうに踊っていたよ。でも、その中に一人だけその輪に入れずにうつむきかげんで、寂しそうに立っているだけの男の子がいたのに気がついたんだ。あの子どうしたのかな?身体の具合でも悪いのかしら、ダンスするのが嫌なのかしらと思って見ていたら、近くにいた女の子がその子のことに気がついたみたいで近寄ってきたんだよね。
みんなだったらどうする?仲間に入れない子がぽつんといたら。やっぱり、バカにしちゃうかな。それとも声をかけてあげるかな。どっちだろう?
その女の子は、どう声をかければいいかなんて、幼くてわからなかったみたいだったけれども、男の子の手をグイグイ引っ張って輪の中に引き入れたんだ。そして、自分でこうやって踊るのだよって、その子の顔を見つめながら教えていたね。すると、その男の子も少しずつ踊り始めたんだ。曲が終わるころには、どの子がぽつんと立っていた子かわからなくなってしまっていたね。
この女の子の中で、《もう一人の自分》が働いたかどうかはわからないけれど、自分で正しいと思うことをして、それが、その場で一番ふさわしい行動だったことには間違いが無いと、和尚さんは思っているよ。
最後に、読んでくれたみんなに、難病のため12歳で亡くなってしまったけれども、一生懸命にその生を生きた一人の少女、野口朝加さんが残してくれたメッセージを贈りたいと思います。
卒業式の日の(私)へ
卒業式の日の朝加ちゃん、どれくらい大きくなりましたか?
柳河小の卒業生としてはじないよう、そしていつも、かがやいている自分でいられたでしょうか。
今は、まだ6年生になって3ヵ月。「あれもしよう」「これもしよう」と考えるばかりで、あせることが多いようです。でも、自分のできる最高を常に出していたいです。友達とけんかして泣いてしまったこともあったのではないでしょうか。差別なく、いじめをなくすための第一歩は、たとえ言い合いになっても、良いことはよい、悪いことは悪いといえる友達をつくることと思います。また、最後まで責任をもち、進んで行動できる「私」でいられましたか。人が見ていようがいまいが、自分が正しいと思うことをしていたいです。
こんな「私」になって、卒業式の日には笑顔で卒業していきたいです。
吉富弘道