法話の窓

056 仏さまをまねしよう

【坐禅は仏さまのまね?】

みなさん、こんにちは。

 今日は、子ども坐禅会におおぜい集まってくれてありがとう。いっしょに坐禅がんばろうね。みんな本堂のまん中を見てごらん。仏さまがすわっているよね。

 そこにすわっている仏さまの姿を、そっくりまねすることが坐禅なんだよ。何で仏さまをまねするのか分かる?

 みんなはね、一人ひとり仏さまの心を持っているんだよ。「ありがとう、すみません、おかげさま」という明るく正しい心。「誰とでも仲良くしていこう」というあたたかい心。それが仏さまの心なんだ。

 ところが、時には、よくばったり、むかついたり、おちこんだりすることあるだろう。和尚さんもあるんだよ。これがけんかやいじめの元なんだ。

 そんな時、どうすれば仏さまの心にもどれると思う?。そう!仏さまのまねをして坐禅するんだ。そうすると、みにくい心が仏さまの心にもどるんだ。

 仏さまのように、からだをまっすぐに調えて、呼吸をしずかに調えていくと、自分の心も仏さまの心のように調ってくるんだよ。坐禅て、すごいだろう!

 

【大どろぼうのわるだくみ】

 むかし、大どろぼうがいた。つぎつぎと宝物をぬすんで、つぎのえものをねらってたんだ。何をねらったと思う?。よりによって、お寺にある「金の仏さま」をねらったんだよ。悪いやつだなあ。

 どろぼうは「金の仏さまを、うまくぬすむいい方法はないか」と考えていたら、いいことを思いついた。「お寺のおしょうさんの弟子になりすませば、誰にもあやしまれず金の仏さまをぬすめるぞ」と。

 そこでさっそくお寺へいって、おしょうさんにうまいこと言って、弟子にしてもらったんだ。どろぼうは「しめしめ。あとは、まじめに修行するふりをして、お寺のみんなを信用させて、そのすきに金の仏さまをいただこう」とほくそえんだ。あたまのいいやつだなあ。

 それで、どろぼうは、お寺の修行僧をみならって、お経をおぼえ、お説教を聞いて、そして、みんなにあやしまれないように仏さまのまねをして、いっしょうけんめい坐禅したんだ。しばらくするとどろぼうは、ずいぶん坊さんらしくなった。

 「そろそろ金の仏さまを、ぬすもうかな」と思ったけど「いやいやまてよ。あせってドジをふんではいかん。いそがばまわれだ」と思いなおして、さらにいっそう、がんばって仏さまのまねをして坐禅をし、修行にはげんだ。すると、どろぼうは、もうどこから見てもりっぱな坊さんにしか見えなくなったんだよ。

 どろぼうは、「もうよかろう、誰もあやしむまい。さて仕事にかかろうか」と思ってはみたものの、どうもおかしい。悪い心がしょんぼりしてるんだな。それどころか、今までの自分の悪いおこないを反省して、少しでもよい人間になろうという心がぐんぐんわきだしてくるんだよ。

 大どろぼうは、仏さまの真似をしているうちに、とうとう、ほんもののりっぱなお坊さまになり、ついにお寺の和尚さまになって「金の仏さま」を大切に守っているそうだよ。

 

【仏さまのねがい】

 悪い心だった大どろぼうが、坐禅をして、仏さまのまねをしていくうちに、悪い心がだんだん仏さまの心にかわっていったんだね。だからみんなも仏さまのまねをして坐禅をしよう。

 仏さまの心になれば、自分のことしか見えなかったのが、まわりのことまでよく見えてくる。さびしそうにしている友だちがいたら「どうしたの?」と一緒に遊んでやれるだろう。いじめを見たらそんなことしてはいけませんと言えるだろう。そうやって、みんなが仲良くくらして、世界中が平和になることが仏さまのねがいなんだ。そのために坐禅をして心を調えるんだよね。

 去年、坐禅会にきた子は「坐禅してたら、鳥の声が聞こえてきて、とてもうれしくなった。いつもだったら聞きのがしてしまうのに」と言っていたよ。

 もう一人の子は「さいごまでがんばって坐禅をやりとおしたら、終わったときすごく気持ちがよかった」と言っていたよ。さて君たちはどんな感想をもつのかな、楽しみです。

水野宏宗

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